昨日、年配の檀家さんからあった話。
70年ほど前に拙寺で催された「お稚児さん」の件でその方の弟さんとの思いを懐かしく語っていました。
その「お稚児さん」とは祖父の代に行われた「稚児行列」のことですが、私も先代の父の代にその行列に加わった覚えがあります。
勿論、主役は小学生1年生くらいまでの子供たちですから、私は行列に同伴する引率係としてです。
その意味としては我が子の「成長を祝う」祭りの類ではありますが、その子供たちを演出するにカタチというものが決まっています。
顔は白粉で化粧しお決まりの衣装を用意するということ。
すべてにおいて準備が大変なワケで。
70年前のその行列にその弟さんの参加についてその両親はとても悩んだそう。
何故ならばその衣装を調達するに「貧乏でおカネが無かった」からだといいます。
それでも親はその稚児行列に参加させてあげたいと思い、おカネを何とか工面しその参加にこぎつけることができたといいます。兄弟たちもその行列に参加しそれが楽しかった思い出になっていたようです。
行列は拙寺の鐘撞堂前から出発し、町内を練り歩いたのち鐘楼前に戻ってくるのですが、その方はあの鐘楼を見ると今もその時の情景が思い浮かんでくると。
きっとすべてが楽しく、また懐かしい「あの頃」だったのですね。
ちなみに私はその稚児行列を主催したことはありません。
本来ならば5~6年に一回はやるべきなのでしょうが。
なかなか踏ん切りがつきません。既に子供たちも少なくその声も上がらなくなってしまったような気がします。
その時私が返答したのは「親の子への思い」について。
それは子供の成長が難しい時代、簡単に亡くなる例は多分にありましたから。
それでも子供というものを完全に親が管理することはできませんのでここ相良では海での水難事故で亡くなる子供の例が少なくなく、拙寺過去帳にもそれがあったことも。
先日見た近江琵琶湖周辺の番組では、ある地域には自宅前にお地蔵さんが祀られている家が相当数あることが伝えられていましたがそれらは琵琶湖の水難で亡くなった「当家で亡くなった子」の供養のためだそう。
それだけ子供というものは病に不慮の事故と「生きながらえ、成長する」というハードルは高く、無難に(「つつがなく」・・・)成長していくことの難しさを伝えていましたからね。
よってその「稚児行列」によって我が子の「生」と「成長」について感謝のアピールをするのです。
今は「子は成長して当たり前」の感覚にある人がいますが、私の家ではその件「奇跡」と呼んでいます。
それだけで有難いものです。
それを「当たり前」と思えば「感謝」はありませね。
さて、昨日は「誕生ありがとう」の胞衣塚について記しましたが、その流れでもう一つ。
それが乳歯塚です。
基本は昨日の「誕生ありがとう」に続いての「成長ありがとう」ですね。
つい最近(父母の代くらい)まで、私たちの命が「有ることが難しい」(有難い)を強く感じていたという遺物がそこにありました。
やはりそれは今はゴミ箱(昨日)行きということでしょうかね。
とにかくもまた何事も「当たり前」と思っていたら「感謝」が生まれてきません。
成長も奇特と思う時代の遺構です。
乳歯塚はやはり岡崎の本宿、法蔵寺に(場所はこちら)。
その法蔵寺は岡崎では著名なお寺です。
私も何度かその境内を散策させていただいていますがなかなかそちらのお墓に触れられなかったのは墓がたくさんありすぎてどう記していいのかわからなくなるくらいに敬遠しがちになっていたからですが・・・
まあその寺号「法蔵寺」を見て本尊は「阿弥陀仏」?と「ピンときた」方があればなかなかのお達者。
ご門徒でしたらご存じ「正信偈」、その冒頭を記すと・・・
「帰命無量寿如来 南無不可思議光」と阿弥陀仏を讃嘆し
「法蔵菩薩因位時」と続くところに出てきます。
その件、法蔵菩薩・・・「阿弥陀仏の菩薩の頃」ですね。
あの阿弥陀さんであっても成長があっての仏だったのでした。
よって寺号を見ただけで浄土系の寺であることが推測できるというもの。浄土宗のお寺ですね。
ただし元は法相宗で「二村山出生寺」が創建という古刹。
また家康の稚児時代、このお寺にて勉学に励んだということが伝わっています。
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