伊勢湾台風から63年 赤芽の白山桜 立田の専随寺

先日、当奥方が運転免許更新のために榛原警察署に。

優良ドライバーということで大人しく交通安全ビデオの前にしばらく座っておしまい。

 

ビデオ視聴中同じように窓口に更新の来訪者があるのがわかります。スグ目の前ですからね。

すると「強烈にピンボケ、チンプンカンプン」の高齢者がその手続きの窓口に立ったそう。

「耳も遠い様で、足元も覚束ない風のおじいさん」といいます。

その方の免許更新が無事に済んだのかどうかは分かりませんが、もしそのままその方が一般の街区に出たらと思うと「怖すぎる!!」と。

 

農家などこの田舎で自動車が使用できないのはさぞかし辛いとは思いますが事故を起こしては元も子もないですからね。

道路にはいろいろな人が走っていることはわかりますがドライバーの状態はわかりませんからね。

 

私も「それ」が何時になるのか分かりませんが、「その時」はきっと「まだまだ大丈夫だ」などと周囲の忠告を無視する私があるような気がします。助手席から罵声を浴びる頻度も高くなりました。

齢を重ねると人は往々に人の声を聞けなくなりますし、耳は勿論他の肉体的機能は必ず衰えてきますからね。

そのタイミングが難しい。

 

さて、昨日記した長島の閘門から北に離れて木曽川を渡ります。

愛知県の愛西市の「立田」というエリアに。

愛知県の西に位置するということから「愛西」なのでしょうがやはり長島同様木曽川に沿った田園風景(蓮田)が広がります。

ということでこの地区の大概、例に漏れず河川氾濫による水害との闘いの形跡が見られました。

 

明らかに輪中を思わす周囲より高い位置に大谷派の専隋寺がありそちらの門を潜ると「赤芽の白山桜」なるサクラの木が現れます。

 

サクラの前の掲示板の通り、昭和34年の伊勢湾台風で倒れたとのこと。サクラの大木を倒す水流も驚きですがその生命力の凄さたるや・・・です。

現在のそのサクラはいかにも大きく感じますが、倒れた跡の根株から出た若芽から成長したものだといいます。半世紀と少々でここまで大きくなるとは・・・

そして「立田村(海部郡)教育委員会」とありますから、愛西市以前に作られた標識ということ。以前の名の方がイイとは勝手な私の思い。

 

本堂の姿が如何にも拙寺に似ています。

創建はこの地の長島の門徒衆VS信長軍との争乱(1570~74)からしばらくしてとのことですから、だいたい拙寺の創建と同じような時代でしょうか(場所はこちら)。