文芸まきのはら 相良にはたくさんの知者がいる

早く終わってほしいのは当たり前。

先日も記しましたがウクライナは結果的に世紀の異常者プーチンとの消耗戦を一人買って出たような気がしますね。

さっさと武装を放棄してニッコリとロシア軍を迎え入れ、すんなりロシア友好の大統領へ首が据え替えられていれば今の如くのウクライナの人々の悲しみと疲弊困窮には至らなかったというのがスジでしょうね。プーチンの筋書き通りに進めていればということです。

 

「早く終わってほしい」のはやまやまですが、ウクライナ人の気概、気質もありますが、アメリカやEU諸国としてはその「狂った偏執」をそのまま許容していくのはもはや考えられないといったレベルに達したのが現状。

 

というわけでとことんズブズブの大応援団としてウクライナに大量の兵器を注入するに至っているワケですが、もうどう期待しても仕方なし。

ここは長期戦に持ち込んでの総力戦、我慢比べに持ち込むほかはナイと褌を締めなおしたというところでしょうね。消耗戦となればその背中を押す国の多いウクライナが優位。

ここは一気にプーチンに決着を着けたいという野心も見えてきました。

 

世界に争乱を招く(最大最悪の)種が摘み取られるということは平和への道、平和こそ人類にとっての願いですのでもはやその方向性にまかせる他は無いのですが、やはり心に残るのはウクライナの人々の悲しみ。

自分の町が戦場になり家族をなくすこと、諸所の苦難を思うとそのような軽口は憚られます。

気が重たくなる「見守り」を当分間させられることになりそう。

 

プーチンのバックにいて思想的ブレーン、ロシア正教のキリルは75歳。そのプーチンは病を抱えているであろう69歳。

対するウクライナの大統領は44歳。

「早く終わってほしい」という奥方に、私は「10年も経てばウクライナ ゼレンスキーの勝ち」と説きましたが、それほど時間はかからないかも知れません。

 

どんなに財産と権力を持っていようが「生老病死」の件と「押し出し順番こ(ところてん)」は避けられないということ。

人生の退場という関門を潜らなければならないということ。

普通に考えれば「若さには勝てない」というのが道理ですからね。

各国物価高に悲鳴が上がっていますがウクライナのこと世界の事を考えればここは堪えどころです。残酷ですが悲惨に目を瞑って。

 

そしてこのお国のお偉いさんたちは攻撃兵器を供与できないことを口惜しく考えているようですが、それはいかにも単純な思想です。まるで「男の子」。

日本には他にいくらでもやるべきことがあるでしょうに。

それは避難民受け入れと近隣国に避難しているウクライナ国民への衣食住そして医療の支援です。

 

さて、昨日は旦那さんが先に逝ったあとの奥様方のお気楽余生などと放言しましたが、このほど出た「文芸まきのはら」のある方の記述を拝見して、いかにも、いかにも・・・その大変さを知らされました。

 

その方はやはり仁鶴師匠が奥さんを亡くされた「12年前」(記述が昨年でしたので実際は13年前)に夫を亡くされたといいます。

その時、私は(今は既に亡くなっていますが)ある檀家さんから、檀家さんではない方の火葬場のお勤めを「ピンチヒッターでお願いしたい」と電話があり(宗旨は同じ)、それに応じて出向いたことがありました。火葬場まで車で5分ですからね。

私の記憶違いかもしれませんが、「その方だったかも・・・」と思ったのでした。

 

「夫、六十一歳で『後は頼むぞ』と亡くなった」とのことですが会社の経営と二人の重度障害を持った息子さんを遺してのことだったそう。

二人三脚のすべてのことがその時から一人の肩に・・・その「タノム」の重荷は想像を絶します。

ただの悲しみどころではない大きな苦難について終始感謝の言葉を織り交ぜながら綴るその文章に昨日の拙ブログの軽口を反省したのでした。

金子みすゞの言葉も引用されていましたが「私は幸せ者 年齢は関係ない まだ若い」の心意気「今から育ちます」は連れ添いの健在、逝去関わらずに大いに見習うべきと思いました。

 

この「文芸まきのはら」は、この地の文化の深さというものを垣間見ることができる一物です。

それぞれの皆さんが深い考察においてそれぞれのテーマを老若男女問わず論じています。

 

当然歴史に重きを置くテーマもあって顔ぶれには当地の歴史好きの皆さんの名が並んでいます。

また「いつもの檀家さんたち」の名も散見します。

史跡研究会の会長の意次の歌の特別寄稿に池田氏の「撮記帳」(ざっきちょう)などなど。池田氏は今井信郎屋敷のボランティア、チェーンソーを振るっているご様子、さすが「若い」。

 

そしてまた、秋野氏の郷土研究、「相良油田見聞録」は氏の経年重ねた実地調査と関係者への聞き取りに文献読み取りと相当の力が入っているところがわかります。

当ブログでも何度か相良油田について記していますが、この秋野氏の記録に圧巻、相良油田の紹介のコーナーとして左側「ナビゲーション」枠にその記述を転載させていただくことにしました。

尚、画像については割愛させていただきましたのでご興味のある方は、その他の労作とともに本編を求めていただければと。

相良本通りの布施書店でどうぞ。