岡崎城本丸北側は空堀 清海堀は西郷頼嗣の法名から

昨日も小雨交じりで本堂ではストーブが活躍していました。

終始雨降りの一日でしたが、本通りでは連日で例の撮影が行われていたようで、本通りにそれを知らないで入った車両たちが拙寺の周囲に流されて右往左往していました。

お寺の周囲は細い道ばかりですが「普通は行かないだろ・・・」と思うようなクランクに車が迷い入っていました。

「事故が起こっても自己責任というヤツか・・・」と奥方。

まぁそういうこと。

本通りの警備員さんがどちらの方か知りませんが、行き当たりばったりで拙寺方向に「流し込む」というのは「ちょっとね・・・」

まさか連日とは思いもしませんでしたがそういえば前々回のその撮影の日も雨降りでしたから私の知っているその3日間は全て雨に祟られていたよう。

特にまたコロナで大変な時節「よくやるよ」・・・

参加しているご当人がそれで良ければ「それでヨシ」。

 

夜はNHK「忘れされゆく戦場」を視聴。

去年2月のクーデターによって政権を握ったミャンマー軍がロシアと中国の最新兵器を使って住民虐殺を行い、それを国連がやはり今のウクライナ同様に「止めることができない」という現実。ミャンマーの反軍事政権の人たちは戦う意思はあるものの武器の供給が無いため、常時劣勢の見殺し状態ということでした。

ミャンマー政権は当然ながら対ウクライナ戦のロシア側応援席。軍政権の消滅を願うばかりです。

またミャンマーで一儲け企む日本の企業については監視しなくてはなりません。勿論ロシアもそう。

 

さて、昨日記した岡崎城の持仏堂曲輪は北側の二の丸から本丸へ辿る中間地点。その持仏堂曲輪と本曲輪を隔てる空堀の名が

「清海堀」になります。

家康が関東移封になったあと田中吉政の手によるもののようですが「清海」の名は西郷頼嗣の法名から命名したといいます。

またその法名は清々しい。

 

要は岡崎城の本来の創建発祥はそもそも「松平、徳川ではありませんよ」の主張になります。

あまりにも家康率いる三河武士団の集積地、岡崎というところイメージが強すぎますし、この岡崎を奪取してからの松平・・・徳川家康の飛躍があったのですから、岡崎=徳川の印象が強いのは致し方ないこと。

また家康の長男の「岡崎信康」の名乗りは周知の事ですし岡崎といえば私が真っ先に思い浮かぶのは本多忠勝ですからね。

 

その空堀と石垣は観光化していない自然に同化しているような城址ばかりを見慣れた者にとっては壮観です。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (月曜日, 18 4月 2022 08:57)

    警備員など映画関係者が手配しているのでどこの会社かさっぱりわかりません。
    まだ29,30日も行われる予定です。それが雨でできなければGWに行う予定です。
    乗り掛かった舟で、ここで途中でやめるわけにはいかないでしょう。
    映画関係者にしてみればコロナで遅れ、天候で遅れ、経費がかさむばかりでしょう。
    費用は「億」を当然超えるようです。
    映画が売れればいいのですが売れなければ赤字という博打ですね。

  • #2

    今井一光 (月曜日, 18 4月 2022 17:45)

    ありがとうございます。
    適当なところから寄せ集めた警備員が適当に車を流し込んでいるのでしたらあの状況は
    合点がいきました。
    もっともその仕事自体が道路占有者の認可事項で「立たせておくだけ」ですから、どうでもいい仕事なのでしょうが。
    下手に指図をすれば何かあったら責任問題になりかねませんからね。
    相良にはテレビは相撲か野球、ドラマは水戸黄門と寅さんしか見ないという方ばかりのような気がしますのでご当地では期待できないでしょうね。
    29、30は気をつけて本通りからは離れていようと思います。