「明来暗去」は阿弥陀の智慧 木戸長因寺 木戸古城

外と中でこれほど温度差を感じる季節はないでしょうね。

本堂内はうすら寒くてストーブに点火しました。

まぁこれは参拝の皆さんのリクエストからですが、奥方は「無くてもいいんじゃね・・・」と当方ではどうするか迷ったほどでした。

結果的にそのストーブの存在について法要後に伺ったところ「おかげで助かった」との声。

それでいて法要後の地代の山の墓地は殆ど初夏の陽気。

駐車中の車内はまさに高温に達し、エアコンのスイッチを押したとしても不思議ではないくらいでした。

 

午後は境内外構の石垣用にと用立てしていただいた伝相良城の石垣を7個ばかり軽トラへの積み込みに走りました。

先日も7個でしたからこれで14個目。

先日は私一人での積み下ろしでしたが、昨日は奥方の手を借りました。

当初「冗談じゃない」と一蹴されましたが、見てるだけ、台車を押さえる程度と連れ出しました。

 

計ったことはありませんがあの石の塊は40㎏はあるかと思います。大きいもので50㎏はいくでしょうね。

結局、荷台にそれを載せる時「手を貸せ」となり二人がかりとなるわけですが、何個が積み込んだ頃、奥方の手の上に石がゴロりとばかりに転がって、「負傷(当人の主張)した」とのこと。

手の甲と人差し指と中指が腫れていて「酷いことを・・・二度と手伝わない」と怒って炊事を放棄していました。

 

また、先日常夜灯撤去の件を記しましたが奥方は街路に接した場所への石積みは「ヤバくないかい・・・」の指摘を。

まぁその石積みはそう高くもなく安定度からして灯篭とは格段に安定性がありますから。

 

さて、その常夜灯をグーグールマップで「古木戸城跡」の示唆があること、私の思いとしては木戸城が新旧あるとしてその一般に流布している木戸城は現在の春日神社で成瀬藤蔵正義が居た城であり、この木戸町「南屋敷」なる字名にある現長因寺付近には石川氏の屋敷があったというところ。

 

その中心的建造物が真宗大谷派の長因寺ですが、姓は「石川」さんです。

曖昧な記憶ですが、その寺の創建はその石川氏二代の息子からといいますからね。

 

木戸には戦国期の名として成瀬と石川の名が残るのですが、現在は石川姓が殊に目立つ地ではあります。

それは私がただ周辺墓地をほっつき歩いていて感じたことですが。

 

その長因寺境内、本堂前にはツインで石灯籠が建っています。

私は先日は「イラネ~」の憎まれ口を記しましたが、あくまでも負け惜しみ。

その存在は本堂を引き立たせます。境内も広い。

やはりwで本堂前に設けられた山号の入った水盤もイカしていますがこの石灯籠は特に気が利いています。

 

向かって右側の竿部分には「明来」左側には「闇去」です。

「明来闇去」みようらい あんこ(「闇去明来」あんこ みょうらい)の仏語です。

今の私の心が闇の如く暗いということを指摘しているのですが・・・

一言で阿弥陀のおかげさまによる「気づき」(私の煩悩の数々)と考えます。

親鸞さんは教行信証で

「無礙の光明は、無明の闇を破する慧日なり」とも。