易行院法海ら拙寺報恩講に そして阿闍梨に会いに行く

当静岡の感染者数の下げ止まり感が顕著です。

4日連続で前週の同じ曜日の感染者数を上回ってきていますので

ひょっとするとこのコロナの反転攻勢、第七波の兆しでは・・・などと考えたくなります。

 

「コロナの終焉を信じて」などとその先を見越して踏ん張っている各方面のみなさん、多くいらっしゃると思いますが一向に先が見えてこないことは辛いことです。

拙寺としては今回の5月に予定されていたバス遠足の件「重ねて順延」したことを記していましたが、早々にその判断をしたことに安堵しています。

ひょっとするとその5月にはコロナは消滅し、大手を振って皆さんと関西の名所を歩けるようになっていること、僅かながら頭にありましたが「その時は地団太でも踏みつつ笑い飛ばせばいい」くらいでいましたが、そんなワケはあるはずもなく。

コロナを甘く見たら絶対にダメ。ヤラれます。

 

「コロナを怖がるな、経済を動かせ」などいう意見も出てきて、その風潮に背中を押されて、緩みっぱなしの躰を今見せつけられていますからね。

現実、その病にかかって亡くなっている人が日夜出ていることから、お調子にのって「経済をまわせ」など言えるはずもなく。

 

あいも変わらず医療関係者のおかげでそれが何とか「廻っている」こと、理解されていないようです。

その件何度も記していますが「カネ儲けのためには多少の犠牲はやむを得ない」と言い放っていることと変わりなし。

 

昨日は本堂正面の最も開閉が行われる障子に関わる改修を行いました。

先ず本堂正面の階段から堂内に上がる約20㎝の段差の解消のためにもう一段を設けようと思案。

奥方からそう考えることではなくあそこは「移動可のステップ程度でヨシ」とのこと、それでまとまりました。

それなら翌日にでもということで昨日手を付けたのは手摺の設置とその障子がスムーズに開閉できるようにすること。

 

ここも両工作とも長考。

手摺の設置個所の工夫と工作が必要でした。そして障子はレールの摩耗が原因であると推測、レールを交換するかレールカバーのみで誤魔化すか検討した結果、後者を選択しました。

結果、手摺も障子の開閉もまずまずの出来映えでOK OK。

あとはステップを工作するだけ。

移動のしやすさと安定度は相反する課題となります。

 

さて、昨日は桜ケ池の池宮神社史料館の絵画と「真邦」について記しましたが、あの小島蕉園の大澤寺八景(勝)(こちらも)の掛け軸にははまさに、あの絵画と同様の情景を思わす内容が記されていました。勿論その「真邦」の名も。

ちなみに昨日ブログで記した通り「真那まな」と読みたくなります。

記したのは拙寺の釋祐賢ですが。

 

それが画像②③。

叔父が解読したものを読みやすくブランクを空けて記します。

 

又 本州佐倉神主 貢 歌名称 真邦 従来嗜国学和歌人

于此天保元寅年 夏後七月講 御奉命下東都 師曽有顕佐倉池

自東都報本山即蒙旅中 三日之私日 十一月九日夜泊當山有法話 翌十日快晴殊煖気師喜 尋佐倉之池神主 池邊鋪濃(文字化け)煎茗

供師 随住寮司 智幢 干詫 梨二投 池中

 

この「師」が易行院法海。

以前師の拙寺の蔵から出てきた掛け軸、正月の七言を記していました。

拙寺との交流を推測できるところでしたが、この書面から天保元年(1830)に拙寺に滞留していたことが判明しました。

本山の命で「寮司」(りょうす 学寮の学生 他流でいえば弟子

・・・)の智幢と干詫を連れて上った江戸からの帰途、拙寺の報恩講でしょう、何日か滞在して法話までしていたことがわかります(供師・・・法要催行者)。

 

そのうち3日ほど自由時間があったため以前から師が「尋ねてみたかった」という桜ケ池へ二人を連れて真邦の元に。

文書前段に真邦について記してあります。

遠州は佐倉の神主で通称は貢師。歌人としての名が「真邦」

国学と和歌を嗜む人・・・です。

 

「池邊鋪濃(文字化け)煎茗」池のほとりに鋪(敷きもの)を敷いて茶()を煎じて3人は梨を二つ池に入れたとあります。

この「梨」について神社に問い合わせましたが詳細は不明。

結論として阿闍梨の「梨」をイメージしてのことかと。

 

昨日の絵画は師の法然、弟子の親鸞・蓮生坊の3名が池中の阿闍梨と対する図(作成は2000年)でしたがそれと同じような演出を試みていたと考えられます。

前後逆になりますがそういった伝承が伝えられていたこと、想像に難くないところです。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    とも (日曜日, 03 4月 2022 18:21)

    こんばんは。当家の佐倉真邦翁の短冊です。ご寺院さまのブログ内容と照らし合わせると、淡海の池とは「桜ヶ池」のことのようですね。

    「淡海の池へ梨子を献せし水えとき(起)え(衣)て」
    聞我も 涙こぼしつ(門) 池みづの(能) 
    ふか(可)き(起)心の さみし(之)くま水づ(都)え(衣) 真邦

    淡海の池へ梨子を献せし水へと消えて
    聞我も 涙零しつ 池水の 深き心の 寂しく真水へ 真邦

  • #2

    今井一光 (日曜日, 03 4月 2022 19:26)

    ありがとうございます。
    「梨」は阿闍梨と確信しました。