奥方の朝「熱は下がったものの強烈なだるさ」を主張しながら、のそのそっと居間に出てきました。
私の午前中は叔母の家から持ってきた、一般的な台車よりもタイヤの径が大きい四輪のアルミ台車に板を張るなどの工作をしていました。
これは石垣移動用、石材を運搬するための試作品ですがネコよりも台が低いことと、安定を期待してのものです。
これから30㎏~40㎏ある石材を奥方をヘルプに「格闘」する予定がありますので、奥方の早い復活が望まれるところです。
春の法要以降の仕事ですが他にも雑務山積でどこから手を付けていいやら。
午後一番は再び「桜を見に行こう」と奥方を連れ出すことに成功。
いつまでも「だるい・・・」と言われ続けるのはかないませんので「うまい空気と春の温かさを味わおう」という口上です。
しかしそれは表向き。
私の腹は桜ケ池の史料館が目的でした。
これまでそちらに展示室があることは承知していましたが拝観したことが今の今まで一度もありませんでしたので。
禰宜の佐倉氏(その存在も既知)とは初対面でしたが「拝観所望」を告げると気軽に中に通してくださいました。
来訪の目的は佐倉(水野)真邦について。
この目でその人物の存在を確認したかったからですが、こちらの史料館にてまず驚かされたことは神社にも関わらず法然に親鸞、熊谷直実に関わる画、なにより「南無阿弥陀仏」の名号も見られたというところ。
全国的に見てそうは無いことでしょうね。神社に坊さん・・・
他にも徳川慶喜に勝海舟、相良油田に関する山岡鉄舟の書なども着目しました。
地元の何の気なしの神社の感覚でしたがそれらは全国の智者から重きを置かれていたという証拠です。
まったくお見逸れしていて失敬していました。
その「真邦」ですが、私はその存在について知ったのはつい最近のこと。
資料館で知識薄弱の私が拙寺から出た史料の文字を「真那マナ」と読んで学芸員の長谷川氏から「それは真邦マクニです」と指摘を受けてから・・・。
そこで提示された真邦その人の紹介文を拝見してびっくり、水野姓を名乗っていたのでした。
「桜ケ池の水野家」から祖父の2番目の女房が来たことは承知していましたが「佐倉=水野」もその時判明したこと。
ちなみに祖父はスグに離縁していますが・・・。
「まぁ逃げられたということだな・・・」と奥方。
「気を付けろ・・・」とも。
病み上がりの連れまわしに嫌味を頂戴した次第。
スマホ画像ですが次はまともなカメラを持参するつもりです。
館内は発光器を使わなければ撮影OKとのことでした。
②③は真邦の軸の一部。
こちらには彼の軸だけで10数点の保管があるようです。
④は地元の画家鈴木麗華作の
「皇円阿闍梨と対面する弟子、法然と親鸞、熊谷蓮生坊」
天台-浄土-浄土真宗の仏教布教の主たちの名が。
下の画像は昨日の本堂裏、南側墓地のオオシマザクラあるいはヤマザクラ。私が数年前に数本を植えたものですがその名を失念しました。
それでも咲いてくれるだけ大きくなったということで有難い。
他のサクラたちは数輪程度ですからまだまだ大いなる楽しみは先のことです。
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