「実は無くなっちゃた」というのでしょう、私も「ふ~ん」と思わせる事件が浜松であったようです。
「紛失隠ぺいが発覚 浜松市博物館の収蔵資料どこへ?」
という記事の表題がありました。
浜松市の「財産」である歴史的史料の5点について「行方知れず」ということですが、このうち1点は数年前に既に紛失がわかっていたそう。
これまでずっと「あります」とシラを切っていたということですね。
中には市が206万円もの大枚をはたいて手に入れた「浜松城二
の丸絵図」も含まれているそうです。高額なものは定期チェックがあるようですがこれまでうまいことその査察をすり抜けさせる作為があったとのこと。
「盗難の疑い」とのことですが、今更それを言ってもね。
素人目に考えてそれが「ナイ」ということはそれしかナイでしょう。それにその史料を管理している者といえばその博物館関りの人たちに限定されるということもわかります。
外部からひょいと行ってかっぱらえるような代物ではありませんからね。
先日は史跡研究会の月例会の雑談でその件について「それだけ著名なものは売却不可能のはず」との意見がありましたが、歴史好き、骨董好きの中で「売って儲けよう」という人よりも個人所有欲が勝って「懐に入れる」という例を知っています。
それは世に再び出てきにくいところで一番厄介な動機ですが・・・
それをパクった人が亡くなったり、経年を重ねると存在自体忘れ去られて売却されるという場合もあります。
以前も近江唯念寺(こちら こちら こちら こちら こちら こちら)の寺宝、親鸞聖人絵伝が忽然と消えて10年も経ったところだったのでしょうが、「買い取ってくれないか・・・」と連絡が入ったということを記しました。
しかし図々しい。
あるのです、そういった話が・・・お寺にはつきもの。
拙寺でも大量の掛け軸といえば報恩講の間~当時は一週間~虫干しを兼ねて本堂内周囲に掛けたといいますが、法要終了後必ずといって「あれ?・・・」と数本が「消えちゃった」といいます。
当時は檀家さん以外に色々なところから宗派を超えて僧侶やら講師を招き、尚堂内は遠方者が寝食を共にする場でした。
また私が寺に入ったばかりの頃、地元の歴史好きの有名人、某御仁からあきらかに拙寺から出たと思われる史料を「買い取ってくれ」と10万円を提示されたこともありました。
その他の拙寺に縁のある所有物の自慢話もあって、その流出について問い詰めた所「菅山のある人から貰った・・・と思う」などとふざけた事を言っていたことが思い出されます。
その件、父にもやはり同様に「セールス」して一蹴されていたことを知っています。父はカンカンになって怒っていましたからね。
おそらく祖父の代にうまいことちょろまかしたものでしょうが既に時効だとでも思ったのでしょうかね。住職も代替わりしていることもありましょう。
他所でもその方は「貸して欲しい」と言って渡した品物について「二度と返却されない」ことで有名な人です。
貸した人が亡くなれば所有権が自然に移動するというパターンを狙っているのかも知れません。昔からちょくちょく拙寺に出入りしていましたが、私からすれば失礼千万の人というイメージがありました。
その人とは断定できませんが、今川義元から家康経由で拙寺に遺されていた明の皿など7枚あるはずが今3枚しかナイというのも腹立たしいところです。
三方ヶ原戦で命を落とした藤蔵正義の妻「勒」(釋尼妙意)が家康から頂戴したものと伝わっていますが7枚の存在を最後に見たのは私が中3の時。
その出所については拙寺でなければ表明できませんのでどこかで「今川義元伝来の皿です」など言って出てきたとしたらそればっかりはデカい声をあげるつもりです。
それはまずできるはずがありませんので「明の皿」程度の骨董品扱い止まりとなりますね。皿にとっても惨いことです。
骨董品の価値は「出所で半分決まる」というのはそこのところ。
よく研究会では亡くなった方が収集した史料の処分について遺族から持ち掛けられることがあるようですが、「出所がハッキリしないものは怖い・・・」という意見も。
要は盗品だったりすれば余計な疑いをかけられるということですね。
面白そう、興味深いものは多々ありますが、調子に乗って譲り受けるというのもトラブルの元です。
このほど、その「10万円」を提示した御仁が「病気のため、活動ができなくなった」といいます。
そしてまたその方が運営している定期の講習会がまだ残っていると。
会長から私にそのピンチヒッターを頼む・・・との依頼がありましたが、さすがにその義理は私にはありませんからね。
他の皆さん方含めて「持ち回りでやれれば・・・」などとやんわりとお断りさせていただきました。
尚、その方はおカネを各史料と骨董の購入に使い果たし、自らの病を放置していたことによって病が重篤化(視力を喪失)してしまったといいます。
本当にその世界が三度の飯より「好き」という方も世の中には居るものですね。
まぁ病は四苦のうちの一。
いずれ私もその「苦」というものを味わうことになるのでしょうが、齢を重ねて病を得て死ぬ・・・当然の流れ。
いつまでもこの世に居られると思うのが間違いのもとですね。
阿弥陀さんと息子とできれば奥方におまかせできればこれは相当な仕合わせ。
さて、午前は少々の境内雑用ののち3回目ワクチン接種に出かけそのついでに金谷へ上がりました。
「早くしないと葉っぱになっちゃう・・・」と思いつつ、ずるずると先延べになっていた諏訪原城本丸のヤマザクラに会いに行く・・・が目的でした。
駐車場にはたくさんの車、他府県ナンバーも見受けられましたが広大な城域ですので「人と自然」を比較すれば圧倒的に「自然の懐」を感じることができる場所です。それも気軽に。
そもそもが「開削の人工」ではありますが、一昔前までは鬱蒼とした森の中にある茶畑でした。
人を呼べる城郭遺構として時間をかけてよく整備したものです。たくさんの木々は犠牲になりましたが。
そのお目当てのサクラがある本曲輪へ直行しましたが、やはり既に葉ばかり・・・
そしてこの本曲輪に来てその一部駐車場の車の主の目的がわかりました。
ワラビを一心不乱で集めている人たちが。
「ちょっと来るのが遅かった」(既に取られたあと)とその収穫の少なさを悔やんでいたのでしたが遅かったのは私どもと同じでした。
諏訪原城の本曲輪から見た大井川の図ですが、これは富士山方向の景色をオープンにしようと思いっきり木々を伐採したということです。
尚、昨日は富士を望むことはできませんでした(シルエット程度)。
そして私の右腕。注射の件ですが、よく言われるいろいろな症状について今のところ現れていません。
敢えて言えば鼻づまりが少々というところでしょうか。
しかし関係はなさそう。平チャラでした。
奥方は再び「ジジィの証拠だ」と。
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お祭り大好き (月曜日, 28 3月 2022 23:46)
私の知人からも「収集した歴史遺産多数を借用書なしで学者・研究者に貸与」の結果、尊父の逝去後所在不明になったとの話も聞き、不心得者が少なくないと感じました。
情けないですが、「人を見たら疑え」の心境になりつつあります!
とも (火曜日, 29 3月 2022 08:23)
こんにちは。御仁には地元へ返却して頂きたい資料が数点あります。私もお世話になった人から相談を受けて掛け合ったこともありますが、ただただ誤魔化すだけの人でした。まだ遅くはありませんよ、前後を悔いて、文化財保護へ気持ちが傾くことを願うばかりです。
今井一光 (火曜日, 29 3月 2022 15:54)
お祭り大好きさんありがとうございます。
相手を信じて気軽に貸し出しに応じてしまうわけですが、そもそも当初から期限などを決めた取り決めの書面の交付はありません。
口約束ということですね。
最初から品物を奪い取ろうという輩は居ないと信じたいですが、結局は返却がなされなければ不愉快な思いをさせられます。
借りる側もその返却について遅延して忘却してしまうこともありましょう。そもそもその手の賃借関係や社会的責任について頓着がないのかも知れませんが犯罪行為であることは間違いないところ。
「(返却を)忘れていました」と返却に応じてくれる方ならば仕合わせです。
大抵はお惚けを決め込むというパターンでしょうが、そうなると被害の証明が難しいですからね。やはり史料の貸し出しの際は「借用書」を用意して署名捺印いただくこということは借りる側は勿論、貸し出す側も心得ておかなくてはならないでしょうね。
その書面が無いということはその人に提供することと変わりありません。
今井一光 (火曜日, 29 3月 2022)
ともさんありがとうございます。
やはり地元では有名な話なのですね。
それにしても実名を出していないにもかかわらず、判明させてその指摘があるとは驚きでした。
「ただただ誤魔化すだけ」というところまったく頷けます。
それでまた嫌な思いをさせられるのですね。
御仁の場合は地元史の特殊な向学心知識が豊富で色々なところでほいほいと評価を受けているよう。よってますます高慢になって「ごめんなさい」と素直に返却遅延を謝罪することができないのでしょうね。
「貸し出し」の証拠が提示できないことは致命的かもしれませんが、先方も出所の証明ができないはず。地裁裁判官の客観的判断というものを期待して集団訴訟によって返却を促すというのも手かもしれませんね。
とも (水曜日, 30 3月 2022 10:15)
こんにちは。毎日御寺院様のブログ拝読しております。
コメントする立場ではありませんが、さすがに昨日は気分が高揚してしまいました。
ある元庄屋さんの御仁対応は、しっかりと自筆貸付文を受け貸与日を記しておられました。
一方で信頼の元に無償貸与した方は白を切られてしまい、司法の判断を仰ぐ事も考えて弁護士にも相談をしましたが、やはり証拠が無く断念しましたのを覚えております。
現在もその方とお会いすると当時の無念な思いを吐露されますね。
最初、御仁にお会いした時には、向学心旺盛で知識豊富な情熱的な方だと思い、実は今でもそう思っております。ただ、それ以来は御仁と交わることはありません。
御仁は眼の病とのこと、本当ならやっとその病的な収集癖より解放されるのですね。余生はラジオなどを嗜んで豊かな生活を取り戻して欲しいものです。
ところで、がつお氏製作の「寛政譜索引」やご紹介された「次世代デジタルライブラリー」を基に、ラジオDJの堀口さんのように「歴史に空想の翼を拡げ」、拙い文を書くようになりました。
御寺院様はじめ、がつお様には感謝申し上げます。
今井一光 (水曜日, 30 3月 2022 19:20)
ありがとうございます。
名前明記は無いにしろこの狭い相良でその手の風説の如くと思われても仕方ないようなブログの件とはいえ、いつかは当人の耳に入るでしょうね。
広く行われててる迷惑行為で尚限定特殊の窃盗行為ですから。
ある方が言っていた事を思い出します。
「骨董、強盗、窃盗」です。
古文書骨董にドハマる人は他人の物を犯罪と分かっていながら手に入れたくなるものだということですね。
心配なのはその御仁がこの世をオサラバした際、それらの大量は一体どうなるのかですね。元の所有者に返却されることがベストなのですが。
がつお氏サイトは私もお世話になっております。
そういった声があるのは有難いことです。
今井一光 (水曜日, 30 3月 2022 19:34)
つづけて記します。
拙寺檀家さんのある方は御仁に貸した史料をなかなか返却しないので「恫喝したら」しぶしぶながら返しにきたと仰っていました。
気が小さい方なのです。
強盗にはなれない「小ズルい」人。
関わらないのが一番ですが脱法にならない程度で一度スゴんでみるのも一手かも。
「若いもん行かせるので用意しとけ・・・」くらいでビビるのでは・・・体の方も具合が悪そうですし。
散逸する前に回収したいですね。