岡崎空襲の碑 浄瑠璃寺 裏の図書館駐車場は便利

戦争において「一般人は攻撃していません」はいかにも詭弁。

特にまた勝ちを得るため手段など選んでいる余裕がなくなればその主体を屈服させるためにやることといえば、その弱いところ(一般人・女子・子供)を狙うというのが戦争の常道だったということは私も承知しています。

同族家族の「悲惨」の状況を見せつけて戦意を喪失させ、戦闘を早く終わらせようというものです。

戦争を早く終わらせるには女子供にまたケガ人という「足手まとい」を大量に作り出すこともその作戦のうちですね。

 

頭の悪そうな非統制の軍隊を動かして、挙句にっちもさっちもいかなくなっているプーチンの焦燥は手に取るようにわかりますが、それだけにこの戦争がよりハチャメチャで無計画な大量殺人に拍車がかかっているというのが今の状況でしょうね。

まぁ勝ち負け関係なく、プーチンは喧嘩以外では世界の表舞台には上がれなくなったことは確定的。

世界は軍事では表立って動けない歯がゆさがありますが、結論が先送りの長期とはなりますが、兵糧攻め(経済制裁)という絶妙の包囲網を狭めがあります。ロシアの一般人への経済困窮の悲惨を見せつけて戦意を喪失させるのが一番ですね。

あれだけのサイコを放置していたのはロシア国民にも辛酸を舐めていただかなくてはね。ウクライナ国民と比べれば大したことない。

 

さて、岡崎の当流三河別院もそうでしたが、鉄筋コンクリート製の本堂というのは岡崎空将で中心部が焼け野原になったためです。

昭和20年の7月19日の焼夷弾と爆弾の投下(12000発以上)は無差別殺人に他なりませんね。

岡崎の空港や大規模工場を目標にしたものではなく人口密集地の住居地帯を焼き払っています。

多くの庶民の命に加え歴史の街岡崎の多くの遺物が失われた無差別爆撃でしたね。

それであってもアメリカは「日本が始めた戦争を早く終わらせるため」という大義がありましたし、それでも降伏しない日本に最終兵器を広島・長崎に投下し「終わらせた」というのが歴史でした。

 

核は最終兵器。「戦争を終わらせる」を大儀にそれを使用した例があるということは、「それに準ずる」暴挙もあるということを考えるのが一番怖い。

 

画像⑤⑥はCIBICOなるショッピングセンター前に建つ岡崎空襲犠牲者の慰霊碑。プレートには亡くなった方たちの名が記されていました。南無阿弥陀仏。

 

その慰霊碑のある広場の道路を隔てた地にあるのが光明院浄瑠璃寺です(場所はこちら)。

西別院の浄瑠璃姫遺構でも記しましたが岡崎の浄瑠璃姫関りの関連遺構の一つです。元は岡崎城内にあっての再建、彼女の念じ仏薬師如来が本尊とのこと。

義経が奥州下向の際に矢作に立ち寄った際、当地の兼高長者の屋敷に宿を借りての浄瑠璃姫との出会いとなりますが、各伝承お調べください。

 

浄瑠璃寺の裏には図書館交流プラザの大きな駐車場がありますがそちらに車を駐車すれば岡崎城周辺をブラつくことができます。尚、図書館は月曜日お休み。