朝の室内気温は17℃で前日よりも2℃も上昇。
10日ほど前は5℃程度でしたのでこの変化は嬉しいことですが少々驚き。
よってお気楽気分UPUP。
本堂裏(当家では「坪ノ内」と呼んでいる庭)のジャングル状態の解消を試みる第一歩でした。
やはり主な仕事はソテツのボサボサの伐採。
まぁざっと見てあと2日以上はかかりそうです。
久しぶりに近くで見た「ドイツトウヒ」の成長ぶりに唖然。
こちらも大木に成長する種ですが本堂前のメタセコイヤ、新墓地と旧墓地の間に植えた鎌倉の覚園寺産、実から育てたカヤと同じく、彼らの成長は楽しみの一つです。いずれも超長期に渡って長生きする連中ですからいつまでもお付き合いはできませんが。
さて、息子は何とか横浜のお寺にて日々励んでいることと思いますが、まぁそれも励むというか「お育ていただいている」わけで、ありがたいの一言。
この仕事は彼自身で選んだので私の関与は全くナシ。
私は彼の「仕事」の件、勝手に心配してツブシが効くよう無理やりドローンスクールに行かせてそのライセンスを取得させたのですが、今のところその更新料の出費ばかりでその経費の回収はできていません。
それはそれで保険のようなものですから今のところベストな状況といえるのでしょう。
奥方が先日、息子に私が「また落ちて死ぬかも・・・」とlineしたようですが、「それは帰らなくなるので困る」との返信。
スライド式に寺の後継者となることを腹に決めているところ、私もいつその時を迎えても安心して浄土に向かうことができますね。
ドローンといえばウクライナの無人攻撃機の画像を昨晩ニュース番組で視ましたが圧巻でした。
ミサイルを搭載したドローンをどちらかの事務所のような場所でモニターを見つつスティックレバー片手にロックオン。
まるでゲームです。
民生用ドローンも投入してロシア軍の進行を逐次把握していたのでした。夜間も赤外線センサーでその存在はバッチリ映すことができていました。
夜間の進行もカモフラージュもまったく無意味ですね。
高いところから鳥瞰、監視されているのは私の勝手に思う阿弥陀さんへの畏れと御恩にも似ています。ミサイルは撃ちませんがね。
アメリカの軍事衛星が大まかの動きを把握、瞬時にウクライナに提供しそれを現地でドローンを使用して詳細位置確認をしているのですが、SNSを駆使するなどその情報精度の正確な伝達能力をプーチンはこれまた甘く見ていましたね。
アメリカは戦闘機の貸し出しは断りましたが携帯用の対戦車ミサイル「ジャグリン」に地対空ミサイルを追加で送り込んでいるとのこと。
プーチンの強大勢力による「力攻め」にも限界があるでしょう。それだけに核だのサリンだのを使用したりしないかハラハラさせられるのです。
「それをやったらおしめぇよ」とはいうものの、その時の「制裁」の出し物が想像できませんから。
今週はロシアの国債の償還があるようですが、どうなることか見物です。デフォルトを予想される事態ともなれば「貸したカネが帰ってこない」という痛みが貸した側に発生するワケですが、また新しい政権が発足したらそちらから返してもらえばイイだけ。チャラになるわけではありませんので利子付けてガッツリ請求すればヨシ。あの国の資源は「売る程」ありますからね。
何よりの痛烈は「国としての信用」がゼロになるということ。
国内の超インフレについて日々伝えられているところですがプーチンを支持するロシア人がこれからそれに耐えられるものでしょうかね。
いい加減に目を醒ましていただきたいものです。
どちらにしろこの戦争のツケはロシア人が将来にわたって返していくことになりますね。
勿論戦争犯罪の件、裁きの手はシッカリ入ることでしょう。
北朝鮮からも国の命でロシアに出稼ぎに行っている人たちが数多いるそうですが給金はルーブル払いだそう。
ルーブルの価値は現状半減しているといいますのでかなりの目減りがあるでしょうね。
国債償還に「待った」の声が上がったり「ルーブルで支払います」(大抵はドル払い通例)などのアナウンスがあった場合、世界は「ドン引き」。
ロシア経済は破綻にまっしぐらの下り道を転がるはず。
よって北朝鮮の出稼ぎのお給金は「キツネのおカネ」(葉っぱ同然)になってその国も一緒に経済転落になるかも。
国連でロシア支援に廻った国。日ごろ「花火」の浪費が過ぎますからね。
近代的な武器勢ぞろい(航空機に戦車にミサイル)での人海戦術の戦争が時代遅れであることを大いに世界に知らしめました。経済による締め付けこそ一見遅延性ありますが、大いに効果アリの様。
昔でいえば兵糧攻めの類ですね。
ホントの賢者は「お話合い」でうまいことおさめていくのですがね。やはり武力をひけらかすのは愚者の道でしょう。
さて、昨日記した厳如上人は三河別院の場合そのスタートとなった門主さんだったわけで上人の発案で三河の布教の中心地として建立されたものです。
その本堂余間には特別な真影が掛けられていました。拙寺の御軸とは違います。
拙寺など駿遠の真宗大谷派の寺院もそちらの別院の下に入りますが、拙寺に遺る文書、配布物色々、江戸期を通して「本證寺末」(こちらも)とあるよう安城の本證寺(本證寺城)が長い間、本山の中継寺院だったわけですが三河に別院ができてからその変更となったのでした。
あの矢作川を渡らなくてもよくなって距離的には少しばかり近くなったのですが、私的にはあの歴史の深さが滲み出る本證寺の佇まいは捨てがたいものがあります。
三河の真宗の発祥はそもそもが矢作川の西岸でしたし。
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