強烈な風が吹き荒れた日。
本堂が揺れるといった感じでしょうか。
朝起きて庫裏の脇に立てていた提灯台の一つが倒れていました。
イラっときましたが起こしても無駄と倒れたまま放置でした。
驚いたのが庫裏から本堂に廊下の数メートルを歩くために履物を用意していますが本堂から出た際、その強烈によって消え失せていました。
何とか片方を発見しましたが残りは何処にもありません。こんな風は並みの台風以上のパワーを優に越していました。
何しろ一番怖いのは「火」ですから終日サイレンの音が響かなかったこと、ヨシとしましょう。
火と言えばウクライナの人たちは空襲警報のサイレンと降り注ぐミサイル禍の大災難の様。連日ニュースが報じられていますが、考えてみれば攻め方のロシア国内であっても各国の経済制裁によってタダでは済まない「大やけど」を負うのではないかと予測するというのがスジですね。
ロシア通貨ルーブルの急落がその兆候。
極論、そのルーブルが価値、信用を失って「紙切れ」になるかも・・・というところ。
大国の流通通貨が紙同然となると国民はどうなるか・・・など見たことも経験したこともないことで、だいたいの予想はつきますが「一体全体・・・」などととても興味深いものがあります。
超絶インフレになってモノのがない(高騰)という困窮状態に陥るはずです。
ロシアの国民はそれでいいのでしょうかね。
まぁ「欧米の責任」というのがこれまでの歴史を見ていればわかりますが問題はあの狂人は核の刃を振り回す嫌いがありますからタチが悪い。
まずはロシアの信用失墜の烙印を押されるかもしれない「期待の」(そう言ったら怒られそうですが)直近ロシア国債の償還日が来週3/16(1.17億ドル)に迫っているそう。
各半月から30日の猶予がありますが6月までにトータル33億ドルもの金額が控えています。
あの狂人が早いところ決着をつけて「なかったこと」にしたかった戦争なのでしょうが目論見は大いに外れたわけですがそれをどう回避するのでしょうかね。
その期日にロシアから「待った」をかけることは経済にとっては大打撃。その後ルーブルなど相手にする者はいなくなります。
いわゆる「デフォルト」という烙印。それは国の破綻を示しますね。怒られそうですがそれを「期待」してしまいますし、見てみたい!!。ロシアの人たちも大変でしょうが。
ウクライナからの画像は毎日入ってきます。
バリケード用に鉄材を溶接したり土嚢袋を積み上げたり、ボトルに小分けした火炎瓶の多数・・・。
その様子を見て、古き時代の日本の「籠城」、敵を迎え撃つ方策を今一度考えていました。
お調子に乗って軽口を記させていただくと、ストレートの街路にバリケードでは戦車には抵抗できないと思ったり・・・。
だいたい火炎瓶を人力で小出しに投げる作戦は絶対に無理だと思いますが・・・。
戦車に近づく前に一掃されてしまうのでは・・・。
その「程度でしか迎え撃つ術はナイ」ことをPRして、相手を油断させていることも考えられますが。
まずハリウッド映画ばかりを観ていた私が対戦車で思うのが「バルジ大作戦」のドイツ軍タイガー戦車を丘の上で迎え撃つシーンですね。
あのウクライナの地には坂道はないのでしょうかね。
それを模倣するとすれば坂の上にガソリン+軽油のカクテルドラム缶を用意しておき、タイミングを見て一気にそれらを転がすという算段。車列の横腹めがけて転がすのも一手ですね。
戦車は火に弱いというのが定説ですからね。
1台数百万もする「ジャベリン」よりも低予算で抵抗を示せるというもの。
バリケードなどは気休め。砲撃の一つで一瞬で排除されてしまいますからね。やはりそれもポーズだったりして。
橋梁を破壊して川を渡れなくするのは定番です。
3本の川に渡される橋を既に落としたといいますがその手の「堀」を作るというのが城塞につきもの。
日本の城塞の如く周囲に深田があるワケではありませんが、それらのようなぬかるみに水が張られれば絶妙な防御になります。
急にストレートの道に日本の城塞特有の虎口のようなクランクをつくることは無理にしろ、掻揚堀を作った方がかなり有効のような気がしてなりません。
戦車が這い上がれないほどの深さの掘を各所に作れば、進撃の時間を遅延させられます。効果的な抵抗をするにはそれが一番ですが既に用意されている可能性もありますね。
戦車の落とし穴を用意しておくのですが、穴がわからなくなるようにカムフラージュしておくのも一手。
そういったネット(網)を市民が工作している画像も配信されていましたね。
何しろロシア経済破綻からの国内不満爆発という構図をひたすら待ちたいところ。
さて、その落とし穴作戦といえば、三方ヶ原戦の犀ケ崖の徳川方が用意した罠がありました。
先日来本多忠真の碑(こちらも)記していますがその崖の周辺には「布橋」なる地名が残っています。
崖の端と端に布を渡してカムフラージュ、武田軍を追い落としたことからの伝承が今も生きているのです。
画像は姫街道にかかる崖の端にかかる橋状の欄干らしきものに貼り付けられた地番表。
浜松城側の「中区鹿谷(しかたに)25」と三方ヶ原側
「布橋1丁目」を分けていますね。
そしてその近くには大島蓼太の句碑が立っています。
「岩角に 兜くだけて 椿かな」。
椿=死というイメージがあるのはイキナリぽろりと首が落ちるが如く花そのものが落ちるところ。それが仏花には向かないという所以です。
赤い椿の花を首にみたてて。
犀ケ崖は自然が作ったもの。
そういった場所へ本当に敵方を誘導出来たとすればスゴイ。
連日「兵戈無用」と言いながら無茶を記しましたがついついウクライナを応援したい気持ちが勝ってしまいます。
仏の道にいながらの軽口、それは反省しなくてはなりません。
そんな映画の見過ぎか・・・
南無阿弥陀仏。
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