厭世 戦争 病(コロナ) 火山 津波 地震そして老化

ロシアによるウクライナへの凶行によって大量の難民がでています。戦渦を逃れるための行動ですね。

映像から窺うところでは私がいるこの地より格段に寒さの厳しい彼の地で、交通手段が限定される中、子連れで荷物抱えての避難はさぞかし困難を極める様子。

 

あの様をたった1人の男が差配しその提供された悪夢を世界がただ傍観しているという姿は、やはり「人間世界」の哀れと限界を感じます。やりたい放題が許されるというワケで。

武力と強圧による政権はしばしば道義・道徳というものも自らが制定するところはかつての日本の歩んだ道からも推測できますが、国連ロシア代表が「子供でもわかる」ような虚言を真顔で吐く姿とロシア国内メディアの締め出しはその流れですね。

「本当のこと」を伝えることが罪になるというところも歴史上強権為政者の取る手段でした。

 

この戦争の終結、落としどころですが、短期での収束はもはやムリなのでしょうね。

キエフが陥落して大統領の首が取られれば一応の大きな戦闘は終わるのでしょうが、アフガン同様の泥沼も想像できます。

ロシア経済の疲弊と軍の「厭戦」の気分をひたすら待つか・・・

その結末次第では「次のウクライナ」を恐れなければなりませんからね。

あれだけ無茶をやって「なーなー」で終わってしまったとすれば「次」を模索するでしょうし、お頭の弱い別のお国の指導者は「私も・・・」とばかりにそんな無茶を真似してくるでしょうね。

 

何しろあの独りよがりのくだらないプレーをさっさと終わりにしていただきたいものですが、思うにあの地ではコロナの災禍はどうなっているの?という疑問。入国相手先もワクチン規制をしたり対応策も用意されているようですが。あのノーマスクの状況を見てそう思いました。

日本国内では感染者ピークアウトとは言いながら「高止まり」で当静岡も「まん延防止等重点措置」の延長となっているのに・・・

 

しかし「生きる」ということもラクではありません。

私がそれを言うのは甘事となりますが、戦争にコロナの病禍、火山に地震の天災ときたら人の心が折れる要因になりましょう。

それこそ「厭世」、人生の、人の生き方の何たら・・・色々の課題たちに追い詰められて、「もはやどうでもいい」となるのも仕方なし。

それに「老い」を迎えて「できないこと」だらけですからね。

 

つい数日前に見知らぬ年配の方が突然庫裏に訪れました。

80歳の女性です。

「死にたい」という言葉をその短時間のお話の中に何度か聞きました。

聞けば数年前にご主人が亡くなり縁者も不在で独りきりのアパートに暮らし、生活保護を受けているとのこと。

片眼失明寸前で再手術を予定し、また癌を宣告されているとの話にその「早く死にたい」には説得力がありました。

「寂しい」の言葉に「さぁ、どうする」と阿弥陀の声が。

なにもできませんが、私なりのポジティブ思考の押し売りをして、とりあえずその日は次の約束をして別れました。

 

私は知っています。

そのポジティブ思考というものが時によって相手を「うざったい」を抱かせ、むしろ病的感情を増長させてしまうことを。

私は失敗に対して「笑って誤魔化す」というリアクションをとる節があってそれが相手から(ニヤニヤしやがって)「けしからん」というイメージを抱かせ、しばしば、不都合な状況になることがありましたが、どうしてもそういったネガティブ思考をぶっちゃけられたとあっても私は笑顔でもって対応してしまいますからね。

人によっては頭にくるかも知れません。

マスク社会にあってもそれは「目」でわかります。

ポジティブ思考もネガティブ思考も一長一短。

 

それらみな、「あなたまかせ」(あなた・・・一茶の阿弥陀さん)の私ですのでどれもこれもやはり「おまかせ」の身の達観。

その方にも「おまかせ・・・」の語を入れて何とかその場をしのいだということです。

 

さて、「まかせる」とは言いつつ、これだけはただの強がりにしか聞こえない、ただカンベンして欲しいと思ってしまう天災の中、最近忘れられつつある地震の件。

今、お寺たちは本堂の倒壊に備えて、外部から鉄骨の支えを柱に「つっかえ棒」の如く支えの金物(鉄骨)を設けている様が見うけられます。

耐震工事というものですが、当然に本堂背部かサイド側への設置になりますが、地震となればその巨体がどのように動くかなど分かりませんから、かえってその工事が仇となることもあり得ますので思案のしどころです。

拙寺の場合は裏に墓域がありますので「つっかえ棒」はムリ。

内部に気休めの耐震工事はしていますが・・・

 

一番気になっているのが柱の基盤の石材が外れること。

コレは本堂自体が地面に固定されていないということで、震力を分散させるための昔ながらの耐震構造。

ただし大地震となって各基盤礎石が外れてしまえば大崩れとなりますからね。

やはり「固定」も「非固定」も良し悪しがあるものです

 

画像は熊本地震の本山レポートのもの。

熊本城の損壊状態を見せつけられていましたが、同じ寺としてその姿を目にすることは辛いものがありましたね。

これも「さあ、どうする」と突き付けられている感。

笑って誤魔化しますが・・・