先日プーチンの「Unhinged」について記しました。
映画のストーリーとしてはちょっとしたことのやりすぎ(クラクションの鳴らし方)を相手から指摘されて「ごめんなさい」が言えなかったことから信じられないほどの怒りにエスカレートしていくというまさに今風あり得そうな人の「個性」について描いたものでしたが、プーチンのその「壊れ」はまさにまた世界の常識を「Unhinged」してしまったよう。
結果的にあの国、ロシアの肩を持つ人はいなくなったのでは・・・
国レベルならまだしも国民への憎悪に繋がってしまうと悲劇ですね。人同士がいがみあうことは差別に繋がります。
私も少なからずロシア製品については見向きもしたくありませんし、ボルスチもストロガノフもピロシキも口にしたくもなくなりました。
スポーツ界も対ロシア戦総スカンの嵐そして「ロシアで商売」を目論んでいた企業すらも嫌悪することになりそう。
それが人々の心情というもの。
まぁ今回の件が収拾するときはプーチンがその「ごめんなさい」を言うか死ぬかのどちらかでしょうね。
自らの死(まったくの推測といいながらも当然のこと)を意識したからこその今回の暴挙だったのかも知れませんがね。
昨晩遅くにはその「ぶっ壊れた蝶番」は再び核兵器を示唆したりしています。ロシア国内の皆さんが何とかしなくちゃあ。
さて、「人種差別」を嫌うアメリカでその短い歴史の中での大きな戦争はといえば国家を二分した南北戦争ですね。
奴隷制度の継続を主張する南部州と北部州との戦争は北軍の勝利によってアフリカ系アメリカ人の権威を少しずつ上げつつようやく現在の如くの状態になったのでした。
ハリウッド映画好きにとって西部劇に登場するその「南軍崩れ」のキャラクター(辛酸を舐めたであろう)に同情したり感情移入したりして観ることがありますが、現実世界においてアメリカではその南軍ヒーローを祭り上げたりすることはタブーになっています。
昨日の拙ブログで幡(旗)について記しましたが横浜の「奥の墓道」氏から「こんなのがあったよ・・・」と画像が送られてきました。
それが南軍旗です。
アメリカの歴史の一コマであってそう目くじら立てることではナイだろうという意見もありましょうが、前述の通り、アメリカの強い非差別主義者の目(今の世論)からはあまり良い気分にさせない代物ですね。
日本の西部劇好きにとっては「面白き・・・」と思うところですがこれもまたもしかして他人を傷つけるグッズになるかも知れないのでした。人によってはナチスの旗と同様に思う人もいるかもしれません。
私を凌駕する歴史数寄者の「奥の墓道」氏ですが(最近はコロナでどちらにも行けていません)彼の趣味はまさに多彩です。
どちらかでも記していましたがサッカー、バスケットそしてロック好きは半端ではありませんし、ラーメンに関しては自ら「ラーメン研究会副会長」(意味不明です・・・)を名乗るほどで一時は毎日のように食べ歩いていました。
その体に悪そうなドハマリ習慣は私の息子にも伝染し、「いい加減にしなさい(塩分取りすぎ~)」と注進したほどです。
よって最近は週末の食べ歩きとなっていて昨日も開店前を狙って目的のラーメン店に向かったといいます。
開店2分前で10人ほどの行列だったそうですがほぼ若い女子たちだったとのこと。
ラーメン店の開店前の行列はそう珍しいことではありませんが、「まずオッサンか家族連れ」ですからね。
その後も女子グループを中心に行列が形成され、外に出て来た店員に彼が問われた言葉が「ロケで使われた席をお望みですか?」と。何のことだかサッパリわからない彼はもちろん「いいえ」と言いながら入店したようです。
どうやらアイドルのドラマでこの店がロケ地になっていたようですがラーメンをすすりに来た「いいオッサン」に向かってアイドルと「同じ席に座りたいか・・・」を聞かれるとはいったい彼は「なんなんだ」と驚かされます。
以前名古屋城の雑踏の中で私がつい奥方と間違えて彼に「おいママ!!」と呼びかけたときの周囲と彼の反応をも彷彿とさせます。「オレにママって言うな!!」と酷く怒っていましたが。
なんだってそんな店へ・・・ということになりますが、「レーナードスキナード(サザンロック)の代表曲にしてロック史上にその名を残す名曲フリーバードを連想するラーメン屋」だと。
店内にはギターが壁に架けられ星条旗そしてその斜め前に置かれた南軍旗をそこに見たとのことでした①。
しかしまぁその手のラーメン店があるとはさすが横浜。
私は並んでまでしてラーメン食べたくも無しですが。
さて、私どもは土曜日の室内講演会の方はパスしたのですが以前から予約していた駿府城現地説明会へ。
相良史跡研究会の両増田氏ともお会いしました。私どもの前の回だったようです。
内容は1時間程度、いつもなら入れない場所にも行けて有意義な時間でしたが、最悪だったのがヘルメットを着けなくてはならないというところ。
以前はそんな用意は無かったような。
一応はヘルメットの間に被る紙状のキャップも渡されましたがこのご時節それを被れというのはかなり抵抗がありました。
前の時間の人たちが乱雑に放り込んだヘルメットを被らなくてはならないなんて・・・
奥方は「オッサンのチックの匂いのイメージ」で辛い・・・とのことでした。
「やった感」はいいのですが、「すべてアルコール消毒しました」くらいのアピールプレーがないとね。サラッと拭くなど・・・
一日中あちらで声を枯らして丁寧に説明されているご担当には申し訳ありませんが、ハッキリ言ってヘルメット・・・イラネ。
余程のおっちょこちょいでもなければ堀に落ちて頭を打つなどないでしょうに。
そもそも私はヘルメットの留めバンドなどは着けず中に押し込んで頭の上に載せるだけ。無意味。
③④は家康銅像付近遠景。
その東側、画像の左側が今回の目玉の一つ「小天守」を推測する石垣が出たところ。
発掘はまだまだ進んでいきそうです。
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