国産経口薬の申請がついにありました。
あとはこのコロナ禍対策で地の底まで堕ちた厚労省殿にそのボールが投げられて「さぁ、どうする」ですね。
まぁ現政権の目玉ともいえる早期承認のシステムに乗ればスンナリと承認するのかとは思いますが、これまでのグズモタの様子からしてまだまだどうなるかわかりませんね。
それが薬局でカンタンに購入できるようになったら、大手を振って街を歩けるようになるようなのですが、「処方箋が無ければダメ」とか言いだしそう。そのくらいならまだしも「臨床数が少ないから(承認は)様子見」とかの難癖を付けてくることも大いにありえますからね。本当に不思議な役所です。
まぁあそこは特にすべての事から「現場を知らない権威主義」の上から目線を感じます。
昨日は70代の方と話しました。
大昔、小学校でのこと「カツオ釣り体操」なる時間があったということ。一本刷りのシミュレーション、時に砂袋を「釣り上げる」など腕力を鍛えるもの。
当時は「鰹船」「マグロ船」に乗ることこそが将来の展望を開く道であるといった感覚があったようでそこには役人、公務員という職のイメージは低いそちらへの優越があったということ。
それも船にただ乗るだけでなく、できるだけ船乗りに付随するプロの技能(機関長、漁労長)を身につけるため「焼津水産高校に行って・・・」がデカイ将来を見通すための道だったと。
現にそのコースに乗ることができて、札束を握って遊び歩き、30代で家を建てる者が多かったといいますので、地元の出世道の花形だったのかも知れません。
今の相良でその手の華々しい話は聞こえてきませんし、今「鰹船に乗っている」という方は檀家さんで1件だけ。
それも地元相良の船ながら基地港と市場は気仙沼です。
一昔前まではこちら遠州の港は賑やかで多くの漁獲量をあげていたのでしょうが、最近はどれもこれも港ではイイ話など聞こえてきませんね。
話は飛んで、先般は語呂合わせの「ネコの日」とやらについて記しましたがその翌日が地元では最近になって言われるようになった「富士山の日」でした。
昨晩「富士山噴火のハザードマップを今一度確認せよ」というニュース番組を視聴しましたが、富士山から距離がある「静岡市内の人も安全とは言えない」ということを付け加えていました。
火山灰が降り注ぐことは覚悟していても火山弾、火砕流もありうるというのが今回変更された清水区の件。
どちらであっても人の生活がありますから、噴火などあれば相当の被害が予想されますし、火山灰の心配も無さそうな当地相良であっても噴火についてまわる地震の被災が考えられます。
プーチンの暴挙も天災の括り。これからも天災が次々と起こるのでは・・・など考えるとまったく辛いことです。
さて、昨日「がつお氏」より紹介された国会図書館の「次世代デ
ジタルライブラリー」で遊びました。
たくさん検索しましたがその一つに徳富蘇峰の「名山遊記」があります。名山とは富士山、その富士山が見える地を訪れてその所感を記した、名所案内のようなものでしょうか。
蘇峰については以前ブログではやはり清水の杉原山からの富士山について記しています。
まぁこの書籍の冒頭部分を見れば彼の富士山好きがよくわかります。
私どももそうですが、周囲に富士山に登ったという人たちはそう多くないですね。
要は静岡人は「いつものようにそこにあって、富士は眺めるもの 登るものではない」という意見が多いよう。
蘇峰(地元静岡人ではない)も若いころ一回だけ富士を登頂しているとのことですが、それ以後は私どもと同じ考えになったようです。
その中で「六 御前崎の灯台」に相良の記述がありました。
そこに「鰹が大漁」の記述。そのきっかけが「地震以来」と。
安政の大地震以来当地に鰹が獲れ始めたというのでしょうか。
そうなると天災も時に恩恵をもたらすということかも。
またそのあと例の「相良海老」の記述が。
二尺ほどある大きさでそれを伊勢海老とは言わずに「相良海老」と地元で呼んでいたことが。
「相良海老」をタイトルとした読本の解読の件、かつてブログにて記していますがその読本中そのタイトルについて「伊勢海老」や相良の名産などいう記述は一切ありませんでした。
「名山遊記」そのあとの、灯台守のたくさんの鳥たちが灯台にぶつかるという話は興味深い。
船の安全を提供するその灯台は鳥たちにとっては災難だったのでした。
災難はつきもの、生き残るために「一応の努力」はしてみなくては・・・
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