西暦にして数字の「2」が6つも並ぶ日。
人は勝手にネコの鳴き声を真似して面白がりますが猫たちにとってはこの時期の寒さは堪えどころでしょうね。
当家の猫の中で一番寒さに弱いといわれる野良あがりの五六八(いろは)は16℃を切ると布団の中に潜り込むといいます(奥方の布団専門)。
この冬、2匹ばかり新参者のネコが境内を徘徊し、日没から日の出まで限定の家ネコ「舞鶴殿」がそれらと遭遇してピリピリしていますが彼らの生活(外で寝ているはずですが)、その環境となると一体どこが最良なのだろうか・・・考えてしまいます。
風が吹き抜けない場所、本堂の階段の下あたりかも・・・などと。
昨晩も声が聞こえてきました。
その1匹はケガをしているようでとても気の毒なのですが最近の外気は冷たく、外で寝るのはさも辛いことだと同情します。
紙屋さんのブログでも記されていましたが、先日小堤山公園の東屋にネコが捨てられたであろう形跡を確認しました。
殆ど新品に近いネコ用のケースと山盛りの食料2皿。
よくあるパターンです。
少なくとも「うしろめたさ」の多少の存在があったことがわかります。
ただしゲージではなく段ボールというのが大抵ですので、こちらにそのまま入れて置き去りにするということは「これっきりにしたい」の心も伺えますね。
この時期は子猫はいませんので明らかに成ネコかと思いますが家の中で飼われていた個体がイキナリこの時期、0℃の外気に放り出されることの悲劇を感じます。
とにかく「捨てたい」の意思は見えますが、「これって犯罪では・・・」と思うばかり。
ペットブームといいますが、イヌもネコもこういった被害者になること、最近またよく見聞することが多くなりました。
独居高齢者が愛するペットを残して亡くなるなどよく聞く話ですが、その相続権者が「イラナイ」と結論を出せば彼らの運命ははどうなるのか・・・
あの時は奥方と周囲の隠れやすい場所をざっと探しましたが、あの開放的な場所にネコは長居はしませんからね。
夜中に車で来て放置するなんて・・・。
市はこの公園広場もモニターする必要がありますね。
尚、当家に出現するようになったネコはおそらく百花の野良猫生産エリアから流れてきたのでしょう。
ネコ好きといいながら野放図に飼い散らかすことは彼らに悲惨を味あわせていることに他なりません。
さて、先日記した犀ケ崖の本多忠真の碑。
忠真の入ったのが真宗の芳蘚寺でしたが、三方ヶ原合戦で憤死した父忠真と敗戦による友軍の多くの死を見たその息子の菊丸はやはり寺を興して仏道にはいります。
それが浜松倉松の真宗寺院の寿福寺です。宗旨は真宗高田派になります(場所はこちら)。
また先般岡崎の高田派のご門徒とある大谷派のお寺でお会いした際、西三河の門徒寺の9割が大谷派、あと0.5づつを「本願寺派と高田派で分けている」と仰っていました。
その件相当大雑把だとは思いますが私が実地で体感するに「そんなものかも・・・」しれないと思えなくも無し。
そのお寺の本堂からたまたま顔を出された方と簡単な会釈、「どうぞ」と声をかけられて「ではお参りさせていただきます」と上がりこんでから色々とお寺の歴史を紹介いただきました。
お内陣中央には阿弥陀さんがいらっしゃいますが聞けばそちらは現在無住のお寺で、最近はお勤めが上がっていないとのこと。
たまたま地域興しの会合?のあと盛り上がって本堂に前住の息子さんほかが居残っていたようでした。
コーヒーまで出していただくなど、とてもコロナ禍中、よそ者で初対面の者への対応とは思えませんでした。
親切にしていただいたお礼に「実は・・・」と私の正体を明かして「正信偈を皆さんで・・・」と勝手な提案をしました。
するとその高田派というその方は、それより短い「重誓偈で」の回答。
一瞬、耳を疑いましたがその短いお勤めをあげたあと、伺えば高田派は重誓偈(大谷派では三誓偈)や讃仏偈(嘆仏偈)の方をお勤めするとのこと。
拙寺のご門徒さんの口からはそのような言葉はまずでてきこないでしょう。
その方は「デュエットしちゃった」と笑っていましたがただのご門徒さんではなさそう。なぜならば経本を見ずにスラスラの拝読でした。声もデカイ。
想像を膨らませればそのお寺(大谷派)の出身で高田派の寺に嫁いだ坊守かも・・・などと。
興味はわきますが、深く聞くのも良くないと、お礼を言って失礼させていただきました。帰り際にも私の車まで追いかけてきてさらなるお土産を頂き恐縮しました。
画像の寿福寺に戻ります。
墓域もほっつき歩かせていただきましたが、一番に気になった石塔~とはいっても残欠ですが、本堂の正面脇にあった④⑤。
せめて紹介の文言でもあれば有難かったのですが。
最後の画像が小堤山の東屋。奥に拙寺の本堂が見えます。
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