岡崎東公園 歌詞に足助重範の名 志賀重昂墓 

昨日は風呂場の扉の隙間風対応をすべくその材料の購入に榛原方面に向かいました。奥方は食材の購入になります。

帰り際、この時節の名物となった片浜の150号道端のダイコン屋台でそれを購入。

各店、販売の仕方(単品・セット 単価等)はまちまちですが「3本で100円」を購入しました(他所では1本50円もアリ)。

 

先ほど行った食品売り場のダイコンは1本178円とのことで勝ち誇りのドヤ顔をしていました。

農家が捨て値に近い金額で捌くのですから、小売店の金額設定では敵うはずがありません。

早速夕飯の食卓にはそれが出されたわけですがこれから当分の間はそれを食することになるわけで・・・まぁ健康的食品ですが。

ダイコンオンリーで生活できればすべてにおいて最高なのですがね。

 

コロナは相変わらずですが「ピークを打ったと思われる」の言の方も相変わらず出ています。

それを発する意味とは何ぞ・・・と首を傾げたくなりますが、それを聞いた人々はまず「そりゃよかった」で、以後「元に戻れる」の思考と行動が先走りしてしまいます。

まぁ経口薬がカンタンに手に入れられるようになってからそれを考えたいものですが。

 

ところが毎度記しますがその感染者数の数字自体がもはやイイ加減。やはり大阪などはその集計に「空欄」が頻出したりで検査ナシの自宅療養とその事務仕事の煩雑への「お手上げ」の様が見て取れます。100年前の大阪の「空欄」について記したわけですがどうやら100年前と同じ。進歩がないですね。

これでは「2年前の~」とかいわれるようになった直近の無反省どころの騒ぎではありませんね。

 

やはり「経済」と「国民の命」かの天秤棒、かなり「経済」の方にウェイトが偏った人たちの論、「オミクロンはインフルと同じ」に一つの結論とも思えるデータが出ていました。

インフルエンザとオミクロンの致死率比較です。

インフルエンザの致死率は既に承知のことで0.02%~0.03%というのが定説(国内)。

そこにきて広島県のデータと比較します。

それが60歳以上でワクチン未接種で4.04%、接種で0.55%。

 

この数字を見て算数(経済)音痴の私であっても「どこが同じなの !」と吐き捨てたくなりますよ。

これも何度も記しますが「経済まわせ」を言う人であっても自身コロナに罹ったら・・・を想定しているに決まっていますがやはり内心「その時は・・・」の奥の手を持っている人たち。

合言葉は「衆愚が死んでも私は生き残る」でしょう。

そんなお調子者の言に惑わされるのは愚そのものです

 

さて、昨日ブログは岡崎東公園の志賀重昂の歌碑を記しました。さすがに「〇〇男児」の言葉は今風でなく、どちらかというとそれを真顔で言ったとしたら少々首を傾げられてしまうような語ではありますが歌詞を眺めていくとなかなか面白い。

先日来、拙寺が「三河門徒の血」を継承しているくらいのことを記していますが、その三河絶賛の歌は、明治維新後の三河人の歯がゆさをも感じるところ。

 

歌詞の中に出てくる地名から三河人の誇りに思う自然がよくわかるわけです。

「段戸山」なる名称は「鷹巣山」に変わっているようですが平坦な場所のイメージのある三河でも高い場所。

以前記した設楽の田峯城(またはこちら)の更に北側の山系ですね。

 

また人名として足助重範の名が出てくるなどニヤリとさせられ

るところでした。

 

その志賀重昂の墓がこちらの東公園にありました。

市民公園に個人の墓があるとは・・・それだけ岡崎市民が自慢できる賢人なのでしょう。やはり市民が誇る本多家所縁の地でした。