昨晩は1年に一度あるかないかの絶不調に陥りました。
不調の前兆として頭痛がありましたのでそういう場合は風呂にどぼーんと浸かって血流を良くすれば改善されます。
しかし昨日は違いました。
風呂から上がると頭痛はどんどん増して「ひょっとして・・・」の最悪の思いが頭をよぎりましたがそういう場合のプランBとして「寝る」があります。
念のため痛み止め頭痛薬を服用して、髪も濡れたまま布団の中に。就寝前の本堂夜警から携帯電話、PCのシャットダウン、腹筋台にあがること・・・など普段の「やるべきこと」、すべて私のヤル気の方もダウンしてしまいました。
「電池がなくなった」感がありましたので、となると睡眠は充電時間ですね。
人の亡くなるときは充電が効かなくなったとき。このようなものかと・・・思いつつ何度か目が覚めました。確実に快方に向かっているイメージを掴みつつ。
そしてあの絶不調が一夜明けて改善していることに「不思議」を思いつつ「おかげさま」。
さて、長沢の岩略寺城の大手側、国道1号線の長沢交差点からも近い音羽川と並行する旧東海道に創建の古い真宗寺院があります。
真宗門徒の呼び方として大雑把、時に「〇〇門徒」など言う場合がありますが、拙寺ですと開祖が近江出身ですから、元は近江門徒であることは違いないところですが、私に至る450年近い間に養子として住職が2人、私の知りうる限り嫁入りが1人(女子の出自は不明が多い)が三河の寺から入寺しています。
桑名を三河門徒の括りにいれられるかは分かりませんがそちらのお寺からも男子が入っています。
の通り「男子が産まれて嬉しい」になったというところ。
ということで概ね三河門徒という括りもあるわけで。
江戸期はずっと三河本證寺が親寺のようなものでした。
その三河とは主に岡崎を中心としたあの矢作川流域「西三河」のくくりです。
その西三河を中心とした真宗門徒(三河門徒)の結束は強く家康が岡崎にあって特に手を焼いた反発勢力となったことは来年の大河ドラマでも描かれるところでしょう。
三河といえば浄土真宗でも本願寺派と大谷派と比べれば大谷派がやたらと多い地域です。
一応は長沢の地は東西三河の境界といわれ、実際豊川の端にあって東三河にはなりますが、やはり真宗寺院があるわけです。
他の寺院等もお参りさせていただきましたが、このお寺誓林寺(場所はこちら)は山城岩略寺からも長沢古城から見ても「眼前」の一等地です。
宗旨は真宗本願寺派で豊川でも唯一だとのこと。
ブログでは親鸞聖人が矢作橋の勝蓮寺に逗留したことを記しましたがやはり矢作川の近く岡崎の桑子山妙源寺の前進となる堂に親鸞聖人が招かれて滞在しますがその際、高梨高直という人が聖人の下で誓海坊を名乗ったといいます。
当初は岡崎の山中村に草庵を建てて8代目の時(応仁年間)長沢に来たとのこと。
山号の「古谷山」は松平氏からの命名とのことですがそれ以前は「乙葉山」と(HPより)。
今はその川の名「おとわ」は川そのものの名とインターチェンジの名としては残りますが、雅を思います。
現住職で27代目といいますからその歴史の古さは改宗ナシの真宗寺院として特筆です。
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