昨朝の気温は13℃。世間の騒ぎからすればかなり暖かい。
なるほど、太平洋岸、首都圏に降雪をもたらすというあの「湾岸低気圧」は、当地においては「ただの南から吹き込む空気」ですから。
以前、駿遠地区のドカ雨となる線状降水帯について「国道1号線理論」(相良などはあまり降らない)など調子に乗って記しましたがその辺り、北側の高い場所で北から流れ込んできた冷たい空気と南からの暖気がぶつかって上昇気流が発生するというメカニズムでしょうか。
いずれにせよ一日中だらだらと弱い雨が続きましたが雪が降るなどいう感じはまったくナシ。
町内のマイクからは「11日早朝は気を付けろ」の放送がありましたが。
さて、昨日は長沢の登屋ケ根城址前の旧慶忠寺の「関口家」の五輪塔の存在について「東三河を歩こう」ブログから画像を借用させていただきましたがそのページには宗教法人合併の公告がありました。
拙寺も先代が、静波の光正寺の廃寺(宗教法人抹消)手続きについてその代表者として手続きを進めていましたが、かなり煩雑な手続きになるかと思います。
父は二度とやりたくないようなことを言っていましたね。
当時父がその件すべての事を差配していましたが、私の心残りとしてはご本尊を本山に返却したことでしょうか。
真面目でしたが柔軟性がきかないところがありましたね。
拙寺で引き受けても問題なかったかと思いますが。
阿弥陀仏「方便発心の化身」。
ただの「お前の物欲」・・・のご指摘もありましょう。
ちなみに光正寺は同じ静波の同派のお寺から分かれした寺ですが、住職は交通事故で亡くなったうえ、継承者が居なかったことから廃寺が決まり本堂が取り壊されたと聞いています。
父親がそのお寺の手続きを行ったのは僧侶として寺に入った際、故人から多くの教示を受けたからでしょうね。
私も何度かお会いしたことがありました。
最近でも掛川の同派のお寺の統廃合がありましたが、その手の話は一つの寺の歴史が消えてしまう寂しさがあります。
長沢の慶忠院に戻りますと、その「東三河を歩こう」の公告画像にもありましたが地元の方の口からも出ていたその「合併」したというお寺に行ってみました。
あの国道一号線「関屋」の交差点をそのまま突っ切って電鉄のガードを潜って道なりに立信寺へ(場所はこちら)。
丁度慶忠寺の北側真ん前にあたります。
③は墓地の上からの図ですが、登屋ケ根城の竹藪と左側に宮路の山が見えます。
境内・墓地をざっと見廻せていただきましたが、例の五輪塔は見つけることはできませんでした。
お寺の方は留守のようでしたので、それ以上の探索は打ち切りにしました。
ただでさえ、宗教法人の解散、統合の手続きは大変なことは承知していますので。
④庚申講の青面金剛⑤名号板碑そして⑥が三山講(富士立山白山)の碑。
江戸期には各講が開催されていたのでしょうね。
街道筋のかつての賑やかが推測できます。
⑦は墓地のスグ裏。東名高速が。
やはり今は消失している「巨勢氏陣屋」なる建造物が近くに南面してあったようでその書院がこちらの寺に移築されているといいます。
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