矢作川橋の柳堂勝蓮寺 御開祖御説法腰掛石 

  

先日、今週末の法事の予定が入りましたが、昨日その順延が決まりました。

複数の故人の名が連なる法要でしたのでその確認と段取りについて問い合わせをしました。

するとこのような状況となって東京からの親族の来訪を断ったとのことでした。

それならと「無理して法要を催行することはないのでは」といった話になったのですが、その後相談した結果、順延するという連絡がありました。恐縮そうにされていましたので、「それでOK OK」ということで。

 

また、小和田先生の今度の名古屋での講演会「松平元康と桶狭間の戦い」が順延になったとのこと。

やはり静岡での講演会もかなり怪しくなったような。

経済を回す、オミクロンは軽度、ウィズコロナ・・・の掛け声と楽観一辺倒の中、社会はその調子にのせられたということでしょう。

老人介護施設やこども園のクラスターの状況はまるで「これからは若いもんと金持ちでやっていくから・・・」の画策にも感じてしまいます。

一週間でも10日でもガッチリ止めるなどした方が良かったのかも。ずーっ~とだらだらだらだら・・・

 

さて先日は矢作川の勝蓮寺について記しましたが、そちらの門をくぐってすぐ本堂の前に小さなお堂があります。

覆堂の類はどちらでも見ることができますが、何も紹介等由緒が記されていないことはよくある事。

中に鎮座している何某かが一見して分かれば興味の他のものであればそのままどうってことなく通過しようというものですが、ここはそういうわけにはいきませんでした。

また、よくあるパターンとして鍵が頑丈にかかっている場合がありますがそれはそれで諦めますが・・・

 

覆堂の中にあるという場合、風雨に曝すのは「勿体ない」という敬意か盗難などから守らねばならない「大切な物」です。

 

こちらの堂の中に鎮座するものといえば御開祖にまつわるものです。

親鸞さんがこのお寺に逗留され法縁を催されましたが、出立時にこの石に腰かけて御説法をしたといいます。

親鸞さんが腰かけたということだけでお宝になってしまう・・・凄いことですがやはりそれは雨曝しにはしたくないですし、何も知らないどなたかが座るところも見たくはなし。

覆堂の中に納める・・・というのが自然の流れでしょう。