観応二年の「正平一統」のドサクサの中 唯念寺梵鐘

先日は相良は氷点下にはならない・・・ようなことを記しましたがどうやら昨日朝は0℃を割った可能性がありますね。

大口を叩いて失礼しました。

風も強く、近くのコイン洗濯場で洗った幕をテラスの屋上に掛けて乾かそうとしましたが、強風に煽られて生地の耐力が持たないことがわかり取りやめたくらいです。

コロナ感染者といえば東京は9699で静岡も1156人。いよいよ社会機能の停滞が現実になりつつあります。

「自分はコロナなんかにかからない」と調子づくようななった昨今で無茶なことになっているとは思うものの、ともかくも寒さの方、「あと少しの辛抱」と言い聞かせて朝をすごしています。

 

各地、イベント等の開催は次々に中止は順延になっているようですね。

地元相良でも私の住まう波津周辺の企画として「絆づくりウォーク」なる歩け歩けの会が企画されていて、昨年から区長さんからその行程のポイントとして「寺に寄るのでタノム」との打診を受けていました。

その確認やら何やらで3度ほどお寺に来られていましたが、一昨日の晩になって恐縮そうに「今年は中止になりました」との連絡がありました。

残念ですが致し方ありませんね。タイミングが悪すぎました。

これを企画して実現寸前に諦めるという苦渋の選択を思い計ります。

それにしても来月の静岡市内での小和田先生ほかのシンポジウムの満員御礼、どうなるのでしょうね。

 

以前NHKの「人体」という番組で自転車競技のアスリートで骨が形成できない病気になった人の件を紹介していました。

いかにもサイクリングというものがカラダによさげで筋力も肺活量も活性化するなど健康そのものを思いますが、「骨」というものからその優位性を見て行けば、その運動は無意味だといいます。

 

骨の形成と成長維持をするためには「骨への衝撃」が無くてはならないといいますね。

要は歩くことが骨にとっての最高の刺激であるということです。

ちなみにその「歩け」ができない人は「その場でジャンプ」だけでも効果があるようです。自分のカラダにも脳にも刺激を与え続けることを意識します。

 

おカネが無いというのは辛いことですが(昨日)自分の足で自由に歩けなくなるのもまた辛いこと。

ぴょんぴょんと跳ねているところを人に見られるのは恥ずかしいので玄関の土間でその秘事をこなすのも悪くないでしょう。

 

さて、普通の大谷派のお寺とは異種の歴史を持ち巨大な堂を誇る唯念寺ですがあちらの梵鐘と鐘楼は足利義詮関りのものですね。

あとになってから、あの悪名高き「金属回収令」から免除されたという事実を知って調べてみました。

義詮は観応二年(1351 ・・・ 南朝の「正平六年」に統一されるー正平一統-しょうへいいっとうー )の京都争乱の際に近江に逃れてから兵を立て直しつつ画策していたのがこちら唯念寺。

目途がたって翌年に京都へ向けて出陣する際に天下静謐の大法要を行ったといいます。

 

 

於近州四十九院給之

天下静謐祈祷事

殊可致精誠之状 如件

      観応三年閏二月廿五日  義詮 御判

 

義詮は「観応」にこだわっていますね。

その時、義詮は梵鐘を鋳造させて鐘楼とセットでこちらの寺に寄進しています。

根幹6mの大木となった後光厳天皇が植えたという松(「行在松」)は明治二十九年に風災によって倒れますがその時鐘楼も倒壊し、その松材を桁上部に使用して鐘楼を再建、梵鐘を掛け直したとのこと。

 

昭和17年にその金属回収令によって徴収命令が一旦は出たそうですが、「いくら何でも・・・」と当局に掛け合った結果、保存が許されたと。

私が思うに・・・観応の1300年代の梵鐘ならば、遺留は当然と思うところですが一旦は供出命が出たということは「足利義詮の寄進」というところ(明治維新後に生じた皇国史観に反する・・・足利尊氏国賊)が気に入らなかったのか・・・などと思いましたが。

 

画像は梵鐘の外観。親鸞さんの後ろの建物の中を覗いた図。

そして顕彰碑。

最後が中止になった1月30日の歩け歩けのパンフ。

多くの人たちの苦労が水の泡になってしまいました。