御文「睡眠」 お参りが増えそう 眞珠院 伊豆の国市

布団の中でのあのサイレンは完全無視。

と言っても「テレビで確認する」と起き上がった奥方のしばらくしてからの「大したことないな」の言を聞いてから本格的熟睡となりましたが・・・。

私も腹の中では「遠い遠いトンガの海の火山が噴火して・・・」の思いと、①眠たい②寒さの中暖かい布団から出る気がしない

③明日は法事・・・の思いがありました。 

とはいえ、「オオカミ少年」のようにいつかは酷い目に合うというオチと蓮如さんのお文「睡眠」(一帖-六)。その中の「油断」「後悔」の語を思い浮かびつつ朝まで熟睡させていただきました。

 

御文の「睡眠」の季節は初夏ということになりますが引っ張り出したからにはそちらを。

 

「 睡眠

そもそも、当年の夏このごろは、なにとやらんことのほか睡眠にをかされて、ねむたく候ふはいかんと案じ候へば、不審もなく往生の死期もちかづくかとおぼえ候ふ。

まことにもつてあぢきなく名残をしくこそ候へ。

さりながら、今日までも、往生の期もいまや来らんと油断なくそのかまへは候ふ。 それにつけても、この在所において以後までも信心決定するひとの退転なきやうにも候へかしと、念願のみ昼夜不断におもふばかりなり。

この分にては往生つかまつり候ふとも、いまは子細なく候ふべきに、それにつけても、面々の心中もことのほか油断どもにてこそは候へ。

いのちのあらんかぎりは、われらはいまのごとくにてあるべく候ふ。よろづにつけて、みなみなの心中こそ不足に存じ候へ。

 

明日もしらぬいのちにてこそ候ふに、なにごとを申すもいのちをはり候はば、いたづらごとにてあるべく候ふ。命のうちに不審も疾く疾くはれられ候はでは、さだめて後悔のみにて候はんずるぞ、御こころえあるべく候ふ。

あなかしこ、あなかしこ。

この障子のそなたの人々のかたへまゐらせ候ふ。のちの年にとり出して御覧候へ。」

[文明五年卯月二十五日これを書く]

 

蓮如さんは自身の死という無常の近しいことがその眠たさに繋がっていると感じているようですが、私なんぞ年がら年中「眠たい」を覚える身。「情けないねぇ・・・」(奥方)。

 

さて、最近の当方奥方様は大河ドラマというものから離れていて一切その件、家庭内で話題に上がることはありませんでしたが、今回の「鎌倉殿」初回はその再放送をたまたま私と視聴したのでした。

適宜、「セリフ回しがふざけている」と指摘しつつ、登場人物について「サッパリわからん」とのご指摘。

というわけで「貴方は幸運ですよ、私が解説しましょう」とばかりにペラペラ。

「それが嫌だから大河は視ないのだ」とうざったい風でした。

 

すると昨晩のドラマで「〇〇はどうなった?」と。

役者の名を言われる方がチンプンカンプンの私はおそらくそれだろと思い「八重さんか?」と聞き返せば「そう、そう・・・」。

「そんならかなり前にブログで書いたよ・・・」と言えば「そんなの知るか・・・」と吐き捨てられてしまいました。

まぁ何を書いているか、私でさえもまったく失念していますので奥方が「知らない」というのも無理はなし。

 

結末を話すと「そうか・・・」と納得していました。

画像は伊豆の国市の眞珠院の画像。あの時は奥方と訪問していましたが忘れていたようです。

あの不思議な五輪塔、まぁ宝篋印塔の笠の部分を据えただけのものですがそのスグ奥の解説版。

大河の放映で八重姫のファンが増えそうですね。

 

ナギの木の奥の堂の脇に小さな梯子のミニチュアが見えます。

そろそろ再た行きたくなりました。