私は車からは降りませんでしたが、ご近所のみなさん(当地では「組の人」といいます)が多数集まっていました。
昨日早朝の故人出立(ホール読経)後の自宅廻りの車のあとを追っての風景です。以前は私もバスに乗り込みましたがコロナ対策、私の車で単独追走。
氷結はありませんでしたが風がきつく、その寒中、車を待ち続けた皆さん方の健康の方も気になってしまいました。
凄く寒そうで・・・
先日も拙寺の近く、同じ組の方ではありませんが、一昨々年の大晦日に拙寺の鐘を撞きにきていただいたくらいごく「身近な顔」の訃報を聞きました。つい先ごろまで大きめの自家用車を動かしていましたね。
この頃の遠州の寒さによって体調を急変される例が多いようで、昨日の葬儀も火葬場の手当てがつかずに先のべになっていたのでした。
先日は正月の訃報の際のテーマについて息子に深い「自然法爾」の気持ちの発露、小林一茶の句についてその考察を推奨しました。
特に表記の
「 めでたさも ちうくらい也 おらが春 」
はご存じ彼の代表的句集(といっても一茶死去後に弟子が編纂したもの)「おらが春」のそのタイトルともなったといわれる句ですね。
その春とは正月のことです。
要は世間の正月の華やかさと「おめでとう」の言葉の連続に対して「俺はそうでもない・・・」「のだ(也)」という一茶の正直なありのままの心を表したものですね。
かなり前にブログにて臨済の一休さんの「門松は~」を記しましたがやはり、「めでたいか」といえば「そうでもない・・・」というところ。
一休さんの場合はむしろ正月を迎えるからこそ(齢を一つ重ねて・・・寿命が減る)「ヤバい」のに「何が世の中おめでとうの一辺倒だ」の気持ちが含まれていることは間違いなし。
拙寺の易行院法海の掛け軸を紹介したことがありましたが、やはり正月に記した漢詩、「中有終焉未可知」の通りその社会の浮かれ具合とは反対、本当の心のうちを表しているように思いました。
そもそも寺に入って私は正月の挨拶でその「おめでとうございます」は口にしたことがありません。新たな年を迎えることの感謝として「今年もよろしくお願いします」がそのご挨拶。
というのはやはり腑に落ちないところは「それほど目出度いか?」というところ。
まぁ世の中の風習としてそれは受け入れるところですが、社会の慣例に順応していく必要もありません。
要は人によっては「めでたくない」という人もいるということで、私の場合は特に(たくさんの故人と家族と接しているため)特にそこを思います。
ちなみに当流には喪に服するという概念もありませんので、新年の挨拶を辞退するなどの類の報せは父母の逝去の際、出したことはありません。
まぁその報せは一つの報告でもありますので出す出さないは自由であって他者には他者のやり方はあるでしょう。
私は俳句の世界のことはズブの素人ですが息子に論じたのは、この「ちうくらい」・・・「中位」の解釈は「難しいよ」との件。
一茶の句は「浄土真宗の教えが見え隠れするので面白い」ところから彼への紹介となったのですが、このあまりにも有名な一茶の句の解釈についてたくさんの人たちが試みています。
解釈として色々あっていいのですが、やはりこの「ちうくらい」のイメージですね。
宗教的な解釈が必要なのだと。
たとえば上記、法海の「中有終焉未可知」の「中有」はいわゆる
「中陰」であって死後のこと。そしてまた以前白隠の「中の字」について記しましたが「中」は中庸とか中道の感覚が込められているように感じます。
よって句は、こだわりのない、おまかせする(私)、つまるところ「ありのままに与えられた命を全うする」・・・「私の正月」であるということですね。
勿論人の評価もそうですし私の意思があったとしてもどうにもならないことはどうにもならない・・・
「中位」を真中、半々、50-50の如く捉えてはダメだよ・・・との件でした。
ちなみに「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」でその句集は締めていますが、この句の解釈の中で、「あなた」=「阿弥陀如来」までの理解は当然ながら、「雪が深くて正月飾りもできなかった」の理由付けを表に出そうとしているところは「?」。
それにモノ申すとすればそもそも真宗門徒でその教えにガチに生きる者は上記の理由で正月飾りなどこだわらないものです。
それでいてやりたい人はやればそれでヨシ・・・
一茶を詠むには真宗的深い「自然法爾」・・・「阿弥陀におまかせ」の他力の信心と彼の経験した境遇というものを知るべきであると申し伝えました。
①は息子が世話になっているお寺の標語から。
②今年の蝋梅は花芽が少ないよう。
③親鸞聖人の足元の舞鶴殿はご門徒さんの絶好のシャッターポイント。
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