ここ数日はたくさんの皆さんとお会いしました。
「久しぶり」の顔も多くて特に年末にお会いした皆さんは私の外仕事で境内にあったこともあって少々の会話があります。
その中で家族の方に引かれるようにお参りにやってきた「いつもの知った顔」の印象的だったお二人の件。
二人とも拙寺が古くから世話になっている方で、イメージとしてはシャキシャキ、バリバリに仕事をしていた方たち。
その一人は秋ごろに脳梗塞で倒れてから痴ほうが進んでしまったといい、もう一方もここのところますます痴ほうが進んでしまったといいます。
なぜに先方ご家族からその旨伝えられるかといえば、以前を知っている人からすれば明らかな変調を感じさせるからですね。
私も普通の会話が成立していないことがわかりました。
それらの言葉を聞いて、やはり「時間が経っている」ことをつくづく感じるワケで。
年末から正月の再会というものは厳しい現実以外ありませんね。
今年は記すのはやめようかと思った一休さんのアレ。
やはり思い起こさずにはいられませんね。
「門松は 冥途の旅の一里塚
めでたくもあり めでたくもなし」
私はやはり正月などまったく目出度いなど感じませんね。
ただ年を重ねて老いていく私の様と私の知っている方々の老病の姿を拝見するのは辛いものがあります。
年明けは流れにまかせるだけ。ハイ生きていました~の「今年もよろしくお願いしま~す」は表明しますが・・・。
さて矢作橋の西の土手の下をみやると立派な松と本堂と庫裏、もしかして・・・それなら本尊に挨拶を・・・と山門に廻りこめばやはり真宗大谷派のお寺、勝蓮寺。
本堂に上がるべく段を上がって戸に手を掛けるも開きませんでした。こちらも治安の状況が良くないということが察せられます。
東海道沿線の寺は往来の多い分、気が気ではないでしょうね。
拙寺の場合は時代が少々古いですが本堂の中ではなく本堂の床下で「暮らしていた」人がいたことは知っていますが・・・
さすがに勘弁してくれ・・・と出て行ってもらったそう。
①が土手の上から見た図。
しかし矢作川の氾濫も歴史の中であったはず。
堤防がなければこの辺りは河面とほとんどフラットなような感じがしますが浸水の被害があったことが推測されます。
この下流、同じように堤の脇に成瀬藤蔵正義の入った木戸城がありました。
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