先日は某新聞社の中部支局の方から電話がありました。
除夕鐘の継続の有無と梵鐘という特別な楽器、道具の使用機会について問われました。
以前、時鐘御用について拙ブログにて記しましたが寺の鐘の意義といえば時報と火事の報せです。
寅さんシリーズを見ていれば毎度、夕刻の鐘の音を入れそれに風情を醸し出させるとともにシーンの展開のアイテムとしていることがわかりますが、拙寺の時鐘について私は祖父の代でそれをしていたことを見ていませんので明治以降には止めていたことだと思います。
時計という時を知らせる最新のグッズが登場し場所によっては寺がそれで市中に報せなくとも自治体設置のスピーカーから昼12時と午後5時の時刻を報せてくれます。
また火災時の梵鐘早打ちは主に周辺からヘルプ参集を求める意がありましたが、今は119に電話し、自身やれることをやるだけで梵鐘など衝いている人はいないでしょう。
よって現在、寺が梵鐘を衝く機会というものは一言で「極めて」少なくなったということです。形骸化という言葉がありますがまさにお寺のカタチとして存在するのみで、そこに「あってもなくても同じこと」くらいにどうでもいいようなお寺のアイテムとなったということかもしれません。
その新聞社の方が寺の梵鐘をテーマに取材をし始めたきっかけは2021年6月末に富山県高岡市の老舗で大手の梵鐘製造会社「老子製作所」が民事再生法の適用を申請したことからだといいます。
この会社は広島の「平和の鐘」や沖縄平和祈念堂の梵鐘を手掛けるなど梵鐘会のトップ企業(シェア70%)とのことでした。
コロナ禍世界にあって倒産やむなしの企業は数あることは承知していますが、この梵鐘製造会社の困窮は今に始まったことではなかったようです。
広島や沖縄の鐘は名としては残りますが、実入りは多くなかったでしょうね。
あくまでも商売の相手は「お寺」なのです。
相良の寺院数ある中で梵鐘がある寺は拙寺含めて3ケ寺のみ。
戦中の金属類回収令によって梵鐘を国に奪われたのでしたが、拙寺の如くすべてのお寺が再鋳造して元通りに梵鐘を鐘楼に復活できたとは限りませんね。
いつかは梵鐘を復活させたいというお寺もあったことでしょうが梵鐘を衝く機会が少なくなった今、果たしてそれが必要なものなのか、何より資金的に困窮している中、諦めるが肝要・・・などと思考が変化していったのでしょうね。
現在、梵鐘があるお寺でそれを新規に更新するなどの頻度は鐘を衝くという機会以上に少ないでしょうから。
昨日記した石臼とはまた違った意味で無用の物となったようですが時代とはいえ寂しい世の中です。
さて、奈良町の人影のない寺を歩きましたが、「案外賑やか・・・」を感じたのが御霊神社。
若い連中のよく言うパワースポットだとか恋愛成就とかの類の神社だといいますが、とにかく一刻も早く退散したいという念が起こりました。
私の存在に違和感が生じる場所でもありました。
すべてがあずかりしらぬこと。腹の中で「知るか・・・」。
御霊神社の位置は最後の画像、アップし忘れた元興寺塔跡の掲示板の地図を参照。
もともとは元興寺ということになります。
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