朝から奥方が嬉しそうに「(ひと段落ついたので)彦根辺りまで行ってくれば・・・」などと思わぬ良き言葉を投げかけてくれました。
当然に私も「そりゃ嬉しや・・・」となるわけですが、冷静に考えると今年はまだやり残している課題が残っていますので「年明けにでも」などと真顔で返答していました。
するとその彦根のニュースがテレビ画面から。
前日午後までは何ともなかったものが一夜明けて銀世界になったといいます。
夕方のニュースでは44㎝の積雪と名神高速の通行止めに大渋滞の図を目の当たりにしました。
道理で奥方は「彦根」の固有名詞をあげたわけです。
その地の名は私がよく宿泊する安宿がありますのでごく普通の会話でもありますからまさに自然でした。
まぁ調子にのって「ちょっくら行ってくる・・・」など無きにしもあらず。人が悪い。
滋賀県の冬は突然の降雪があることは経験上承知していますが、今回のその積雪量は「反則」に近いものがあります。
あの雪では微動だにすることもできませんし命の危機すら感じますね。
境内では先日積み込んだまま軽トラの荷台に載せていた砂利を下ろしました。
当然ながらお参りの皆さんからは「さむ~いですねぇ」で私もその語のオウム返し、省エネ対応の一日でした。
午後になって息子からはline。
「寒くて死にそうだった」のメッセージがありました。
「今日は休みか?」と返せば「冗談じゃない!!・・・」と。
彼の受け持つ法要の類は、墓園・霊園での現地集合現地解散が主で本堂内でのんびりという類のものではありませんね。
都会特有のカタチですが、その現地にもホールでの読経と墓前法要と二種あるそうで、その日は墓前での法要とのことでした。
法要が終了して車に帰って「ホッとした」ところだったよう。
最近の私なら、「法要の期日にこだわることはない」ので相良であっても「1~2月の極寒本堂の時間を持つのは止めた方がイイ」などとこちらから注進するくらいです。
吹きっさらしの空の下の長時間などはありえません。
法要に墓参はつきものですがそれでも大抵は5~10分程度の我慢です。
彼はまだ若いから耐性はありましょうが施主はじめ先方の皆さんの相当の苦難を思います。
画像⑤⑥はその寒風吹く、鎌倉霊園の図。
「そりゃあ寒いはなぁ・・・」白いものまで画像で確認。
その時はスカッと晴れた相良の画像を見せびらかしたりしていましたが、その後相良も風の中にその「白」が混ざるなど滅多なことではない景色を見させてもらいました。
そしてまた日没後の寒さときたら酷いものでした。
まぁ「遠州南岸(相良)の寒さ」などオチャラケでしょう。
まったく文句など言えませんが。
画像①~は石臼。
蔵から出てきた石臼を土中に埋めて飛び石にしたところ。
この石臼、ここ相良あたりの古い家には「一家に一台」の代物。要はキッチン用品のようなもので一言でフードプロセッサーの如く、穀類を粉状にするもの。
茶道の先生に聞けば「今の抹茶はずっと衛生管理の行き届いた場所で作っていて、その器具を使用したものより格段に上等に仕上がっている。」ということでした。
昔の人の知恵の結晶のような「道具」ですが、まさに仕様が更新されて無用の長物となってしまったよう。
重たくて取り回しが悪すぎではありますがね。
そばや山椒をこの昔ながらの手法で擦ってその趣を楽しむという方もいるようですが、摺面の溝が摩滅するなどの維持も難しいとのこと。
石臼は上下2つのパーツに分かれていて上段の物には材料を投入する穴と脇には回転させるためのハンドルが付きます。
そこそこの重量はありますがそれでも回転時に動きやすくなりますので、各家庭ではその固定の為にさらに台をつくるなどの工夫がありました。
尚、上下のパーツを回転させるために鉄製の芯が中央に刺さっていてそれを石の穴に固定するために、竹か杉の皮が使用されているようです(朽ちていて判別不能)。
石臼を土に埋設する場合、上下それぞれの摺面を上にします。
摺面の独特の模様は幾何学的。
今、お参りの方に石臼の講釈をしつつ、もし自宅にあって処理に困っていたら当方で「使いたい」旨伝えています。
当家でも庭の片隅に打ち捨てられていましたからね。探せばまだまだあるはずです。
下波津の秋野氏にその存在について振ってみれば「春先に処分した」とのこと。
「もっと早く言ってくれれば・・・」でしたが、私も最近になって突然それを思い立ったのですから。
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