米国の竜巻には恐れ入りました。日本とはスケールが違っていてまったく度肝を抜かされます。
まぁ一言でそれも「温暖化」の影響なのでしょうね。
昨日日曜日、今年最後の法要が終わりました。
いつもの気温でいえば本堂内は寒く、無風の外気の方が温かいという感じ。
師走と言えば1月、2月の極寒期を避けて早めに法事を澄まそうと駆け込みで法要を催行する家があるものですが、今年は皆さん、そうもいかないようです。
全国各地葬祭場に寺社の窮状が聞こえてくる昨今ですが、コロナ禍におけるその「経営」維持はますます厳しさを増しているよう。まぁ拙寺の場合は過疎化一直線の田舎寺ではありますが御門徒各家に支えられて何とかやらせていただいています。
今、寺院の「経営」などと記すと「お金儲け」のイメージが先だって、妙な感じがしますがそもそもその語、元はと言えば「経を営む」の通りお寺から出た語。
まぁ、寺の維持という観点からしても経済的維持が立ち行かなくなるということは厳しいですからね。
やはりその「経営」(維持)のスタンスは不可欠となります。
先日は相良の薬局とスーパーマーケットの「淘汰の時代」のようなことを記しましたが寺社であってもその通りのこと。
浄土宗僧侶の鵜飼氏の書籍「寺院消滅」から・・・
「現在、全国に約7万7000の寺院がある。そのうち無住寺院は約2万カ寺に達している。さらに宗教活動を停止した不活動寺院は2000カ寺以上にも上ると推定される。無住寺院とはつまり空き寺のこと・・・」
また「日本創成会議」が発表した「消滅可能性都市」について。「このまま大都市圏への人口流出が止まらず、若年女性の減少などが進めば、2040年には全国の自治体の49.8%が消滅する可能性がある」といいます。
寺院に限っての話ではありませんね。
「2019年末時点で全国には約8万の神社があり(文化庁--宮司などの神職は約2万1000人)1人で複数(50以上等)を管理する場合もある」とのこと。
その「消滅可能性都市」に挙げられた896市区町村には約3万1000社の神社があるといいます。
私の知り合いの刀剣砥氏で神主の中村氏が口癖に言う言葉「神主は喰わん主」の語が思い出されます。
お寺のことを記せば特に最近「兼務」という語を耳目にする機会が増えました。
まずは後継者不足が主たる要因です。
他流の場合は特に住職といえば本山からの任命からその「血脈」(俗にいう血統ではない)を継承することになりますが、まず打診があってから入寺するパターンとなります。
ところが受け入れ側としての選別が行われて実際に寺に入ろうなどいう僧はいないということ。
要は檀家数というものは寺の勢いでもあってそれの減少と実数が少ない寺には食指は動かないということですね。
よって兼務寺院ばかりで通常時「無住」の寺が増えているということ。
今、そこいらじゅうにありますね。
特に山間部の人口減少の「さびれた地域」がそうですが、アホな連中がネット場に「心霊スポット」などと紹介し、それを観たまたアホな連中が肝試しとばかりに大挙してその空間を荒らしまくっているという現状も報道されていました。
「血脈」が「仏縁」のことだけでなくイコール「血縁」である当流の場合はそれでも寺=My HOMEですので何とか「寺を出ていく」ということには即座にはなりませんが、世の超ネガティブ状況を目の当たりにして、「あと三代もつのか・・・」などとも思ったりして・・・まぁ本堂維持次第でしょうね。
アメリカのような竜巻に襲われとしたら・・・やはり逃げ一本でしょうか。
さて、画像は相良菅ケ谷の字、時ケ谷の地蔵尊の祠。
大聖寺の谷を隔てた道路脇にそれはあります(場所はこちら)。
地蔵尊とあるだけに数体の地蔵がありますが、私が「ほぉ~っ」という具合に眼が止まったのは地蔵たちが立つ板の下。
そちらには宝篋印塔の笠などの残欠がその存在を主張していました。
時ケ谷は旧菅ケ谷村の役場があったり明治初期の油田開発の中心地域にあたりますが、何故こちらにこの古式溢れる宝篋印塔の残欠があるのか不詳です。
隅飾りの摩滅などもあって推測は難しいものがありますが室町から江戸初期は固いでしょうね。
この手のものは元興寺などのように寺に持ち込まれることが多いものですが、寺ならば正面に大聖寺がありますからね。
そうなるともともとこの祠、あるいはそれ以前から鎮座されていたのかも・・・などと考えます。川田砦に川田平兵衛を思い出しま
す。
また近くの相良の園(字名)に宝篋印塔の残欠もありましたね。
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