三の丸幸田門の名 近くに幸田氏の屋敷があったから・・・

午前早くから墓石屋さん。

前日の納骨の際に開けたままだった焼香鉢兼納骨室の入口をモルタルで閉める作業です。

平時は奥方の仕事ですが、夜間に雨の予報があることと、昨日のヘマを取り戻すため、駿遠中部を東に西に動かなくてはなりませんので、私が一番でやっつけることにしました。

 

それから藤枝の法務局に行って書類を回収。

そのまま掛川の法務局に。

そこでスンナリ書類を受け入れてもらえるかというと、やはりそうは問屋が卸しません。

 

「登記」には当人の「住所」の提示が必要であることは言うまでもないことです。

私が悩んだのは、「建物滅失登記」ですので現住所地に家は無いというところが気にかかりました。

 

よって私が住まう住所地の隣、1番違いである本堂の住所に叔母が住んでいることにしたのですがそれはNGでしたね。

建物が滅失していようが「住所」は現在の住民票掲載のものでなくてはならないのでした。

要は登記事項の住所でないと本人の確認ができません。

当たり前と言っちゃあ当たり前。余計なことを考えすぎでした。

 

書面に記した住所で一瞬「ヤバいかも・・・」と思ったのが解体業者に発行してもらった「建物滅失証明書」です。一昨日の藤枝法務局のことでしたが、一連の書面に住民票の用意はそもそも不要ですから前述のように住所を適当に記して提出しました。するとたちまちチェックが入りました。

「建物の住所と所有者の住所が違う」ですね。

 

訂正印などありませんから、ヤバいと思ったのですが書面の一番上の〇の中に捨て印があって大助かり、記入済みの住所に二本線を入れて、本来の住所をその上部に新たに記入。

捨て印の隣に「〇〇字削除 〇〇字加入」と記して勘弁していただきました。

 

とんだドタバタはそれで終わったワケでなく昨日の藤枝から掛川へ窓口を変えたわけですが、掛川法務局でのご指摘は「登記事項の住所と現住所が違う」とのこと。

今度もなるほどです。

叔母がその家を新築登記した際は別の家に住まっていたのでした。新居に住所変更してから登記(おそらく他人にやってもらったことでしょうが)すればよかったのですが、登記してから今回壊した家に住所変更をしたことから以前の住所となってしまったのでした。

 

ということで追加の必要書類「住民票」が必要になったわけで今度は御前崎市役所へ走りました。

すると「同居人でなければ住民票は出せない」ということで叔母に委任状を記してもらうことになりさらに走りました。

「理由は骨折のため」としておきました。

そういった右往左往があることは承知の上ではありましたがここまでもたつくとはまさか思いもしませんでしたね。

 

それから気が付いたことといえば今回の登記申請の完了証明ができあがる時間について。

藤枝が1週間、掛川が2週間でした。よって今回の解決は2週間後。すべてにおいて早いところ開放されたいものです。

 

登記申請で一番カンタンと言われている「建物滅失登記」ですが、翌年にズレると固定資産税が発生してしまいますので駆け込み申請もありそう。

実際に係員が現場に赴いて視察して最終判定しますので人が足りないのかも。それにしてもその1週間の差はちょっとね・・・

 

私をちょいとイラっとさせたのは1つしか開いていない窓口を占拠した夫婦が私の目の前で相続の相談をしていたこと。

窓口のお姉さんに「どうすればイイ?」それに対して返答は「司法書士ですね・・・」。

それから始まって司法書士には行かなければならないかとか、どこの司法書士に行けばいいか、そして挙句いくらかかる?ですからね。

苦笑いするしかなかったでしょう。「それはわかりません」ですよね。 

法務局の窓口に投げかけるお話ではないのにね・・・時間があったらその相談を聞いて首を突っ込みたくなってしまいました。

無料弁護士相談会なら市役所に聞いてみるのがいいのですが・・・

 

さて、先日記した小田原三の丸土塁の幸田門ですがその幸田とは幸田氏の屋敷があったから・・・といいます。

ちょうど小田原駅前の「揚土」とその中間部に「幸田」の地名を記した石票が立っています(場所はこちら)。

 

「幸」の元の字面についても、元からの変遷もありそうで何とも言えませんがその文字をみれば何度かブログにて記した「福田」(ふくでん)思想に通じるものがあります。

昔の日本人の「願い」を表した地名をそのまま名のったのか・・・

 

駅前ロータリーから直接お城方向に南に向かう通りが「お城通り」。その「お城通り」の「お城通り交差点」(⑦が南⑧⑨が東方向)から幸田門があったお堀端通り方向に東進する道沿いに幸田の名を記した石票に⑥のプレートが設置されています。

 

この通りの両脇にはビルが建っていますが掻揚土塁のあと。

それを埋めたとはいえ、そもそも低湿地帯を生かした防衛ラインを想像しますので大きな地震の際、液状化などの脆弱性が表にでてくるのでは・・・