社会を不安に陥れた元治 名号碑の願い 河村城 岸

久しぶりのまとまった雨。

これまでの天井雨漏り箇所の下が注目箇所。

何度もバケツを覗き込みつつ天井と睨めっこしていましたが、雨漏りは皆無。

あの棟まで上がって・・・が功を奏したということならば、最初から上がっていれば・・・と少しばかり後悔。

サイドの吹きこみの件ばかり考えていましたから。

とにかく雨漏りがなくなったことは悦ばしき事。もう少し様子を見ないと安心できませんが・・・

 

しかしセンスというかその感覚というものを疑いますね。

「国民栄誉賞あげます」などのお話は誰が思いつくのでしょうかね。

この大事なオフ期間に余計なことをして足を引っ張らないでいただきたいものですよ。

オオタニサンは紳士的にそれをお断りしていました。

 

当然でしょう、あと何度MBPを取ったとしてもイチロー同様それは固辞することでしょうね。

スゴイ・・・と思って感動するのは誰しもの事、それをその話に即座にくっつけてしまう短絡・・・それをおいそれと彼が「ハイそうですか」という具合に賞を受け入れるハズがあるわけがないのですがね。そんなことは誰も知っていること。

 

彼の目標は「自分のやりたい野球をやる」だけであって今回の結果はその「いっしょうけんめい」が開花したもの。

次の目標(今年の成績を最低ラインに来期、万全の体調で臨んで今期以上の成績を残す)が決まっている中、オマケのオマケのようなその様な賞にはまったく意味を持っていないのですよ。

 

意味があるとするのは彼を政治世界に利用したいというあたかも「イタチのような狡さ」を持たれる皆さんでしょう。

彼としても大衆迎合を意識した政治屋による集票マシーンに仕立てられてはかないませんしイメージも大幅にダウン。

「まだまだそれは早い」との弁は当然でしょう。

かつて「死んでもイラナイ」といった例もありましたね(亡くなったあとに遺族に賞を打診して断られた件・・・)。

イチローなど4回打診するもすべて蹴っていました。

まぁ「終わった」と自認する人が「貰えるならば貰っておく・・・」というものでしょう。

 

さて、河村城の南、山北町岸の街区を歩きます。

「岸」の名称は文字通り酒匂川がその南を西から東に流れる「岸」だからですね。城の大外堀のその城側の岸ですね。

 

その「岸」に「湯坂」なる地があってそちらに「湯坂公民館」があります。コミュバスの停留所が名号碑といっしょにお迎えしてくれました。

公民館に石塔たちが並んでいるのも大概のところです。

 

南無阿弥陀仏の六字が記された石標がバス停の隣にど~んと。

「村内安全」「天下泰平」「国土安穏」とわかりやすく。

脇には元治二年と。

この「元治」は幕末、江戸最後の元号「慶応」の一つ前でたったの二年間しかありません。よってこの時期の年代の入ったものは貴重と言えば貴重。

元号の変更は世が乱れてすべてにクサクサさせられるようなことが起こる時ですが、その時期といえばどこもかしこも蛤御門の変(こちらも)を筆頭に長州の好戦的を思う動乱が顕著でした。

2年で元号を変えたくなるような事案ですね。

そういった乱れた世にあってこの関東の田舎町であってもそのような人々の願いは一言で「南無阿弥陀仏」であったということ。

 

最後の笠塔婆にも河村ではなく川村の文字が見えます(年は寛文)。

②公民館背後(北側)が河村城の山系。