時宗双璧 當麻山無量光寺 相模原

何か事件があってからの当局の規制、その網を搔い潜って違う事件があるとまた規制の検討。

世にはその事件を真似て「一つ自分もやってやろう」というばかりにいつもにはないその「主体性」(傷害犯の)を発揮したりする方がいるわけですが、その危険性と重大性を見て「規制強化」していかなくては・・・という意見が必ずでてくるもの。

 

「何かあってからでは遅い」と言ういかにも前向きそうな発想のような気がしますがそれは一応は「検討した」のいわゆる「やった感」でしょうね。その指摘を受けたとしても「その旨重々承知している」と反論できますからね。

そもそもそんなものの規制強化などどうやってするの?です。

 

今回の京王線でバラまかれたライターオイルは350ml×10個でコンビニでの入手もあったといいます。そのライターオイルの販売管理について販売店でのチェック等どうこうと言い出したというのが上記の規制の件ですが、これは模倣された前回の小田急線内の事件、サラダオイルとは違って引火性が特に強いものがあって爆発的に炎が上がる絵図を画面から多くの人が見てしまいましたからね。

ただし、あの「京都アニメーション」事件以来、規制が実際行われていますが、とはいっても規定内の容器で免許証などの提示があれば購入できてしまいますから。

要は「販売者として購入者を特定すべき」というものであって犯罪の抑止には直接関わらないものになります。犯人を挙げるために・・・ということの主旨。

 

また刃物を以って他者を刃傷することを警戒して、包丁店などで刃物の購入者に使用目的や住所氏名を明らかにするなどありませんからね。私もハンズ時代に刃物など道具としてバンバン販売していました。

さすがに当時近くで販売していた注射器は販売中止となっていましたがね。

 

今、どちらでも販売されている2サイクル用の混合ガソリンは特に私ども田舎者の御用達、草刈り機にチェーンソーの燃料として重宝するものです。

ちょいとエンジンオイルが混ざっているだけでガソリンと違ってフリーですからね。

それも4ℓ缶ですから、ちまちまとライターのオイル缶を購入する手間は皆無。

そこに大いに矛盾を感じますね。

ガソリンにその手のオイルが混ざっている方が却って燃焼性はアップするのです。

それをノーケアにしてコンビニのライターオイルについて、その対策テーマとして急に後出しジャンケンの如く言い出したりするっていうのは「バカなの?」としか言いようがないような。

 

無茶する者は「そこまで頭が回らない」とでも?。誰かがそれを使用して同じような事件を起こしてから「規制します」になるのでしょうかね。

 

人間の活動に規制はできませんし、適切真っ当な使用があるのかそれを犯罪行為に使用するかなど誰も知りえません。

まさにその混合ガスの入手は便利になりましたが、当初その1ℓ缶が店頭に並んだ時、私は仰天させられたことを覚えています。

 

それまではガソリンとオイルを別々に求め「カクテル」を作っていたことも。よって画期的を思ったものですが同時に結構にリスキーなものを店頭に並べるものだと驚いたものです。

私はハンズ時代、毒劇物の取り扱い責任者でしたので店頭にはそれは置かず金庫内管理でポップのみ。

ガソリンといえどもそれに準じた危険物としての店舗での扱いが必要と思っていましたからね。ペンキ、溶剤の類とは一線を隔します。

消防法の規制もあって多くの在庫ができないはずで、草刈り繁忙期の時節は欠品しがちになっているようですが。

片手間の片手落ちという話、よくあること。

 

さて、昨日は奈良當麻寺について記しましたが、実はその「當麻」繋がりの偶然でいえば、先日の町田の法要の帰り路、厚木インターを目指したわけですが、立ち寄ったのが相模原の「當麻山

無量光寺」だったわけです。

地名も」相模原市当麻」とお寺の山号を意識した地でもあります。

寺号の「無量光」とは勿論「無量寿」同様数ある阿弥陀さんの別名の一つ。

私なりに解釈すればその「光」とは間抜けでそれが気づけない私を「量り知れない光」によって知らしめてくれる・・・ということです。

 

そしてこちらが藤沢清浄光寺(遊行寺)と双璧となる時宗の総本山となるお寺。

そもそもこちらの方に一遍さんが庵を結んだといいます。

よって今となっては東海道、かつ鎌倉近しということで清浄光寺の方が名が通っていますが、由緒もスケールも引けを取っていません。

小雨が降っていた分、人の気配はまったくありません。まさに清浄そのものの雰囲気。

各所に「隅切角に三」がその宗派を主張していました。

午後の厚木インターに到着しても驚き。

強烈な大渋滞が上り車線にゲート入口に群がっていました。

私が向かう静岡方面といえば私だけ。

99.9対0.1の如く。

私は相模原から下りてきたわけですが、海岸線からや小田厚からの流入、要は観光地からの首都圏方面の車たち。あれを見るたびに「人と逆に動くこと」が大切だと思うのでした。