昨日は東京の晴れの特異日ということでそれに違わず当地も晴れ。各地その特異日というものかせ示されていますがこちら静岡ではその「東京の・・・」というものの通り、その地の天候が中心になります。
11月の東京のそれは11/3、11/11、11/12の3日ですが大阪は11/11の一日のみ。
大坂と比較すると晴れの特異日は東京の方が倍以上あって長期に間がある予定を立てる際はポイントとなるかも知れません。
拙寺のバス遠足については一応来年の5月に予定を入れておきましたが(すべて予約済み)その5月に大阪、東京都も晴れの特異日はありません。
要はイチかバチかでたまたまお天気が良かったら「ヨシ!」とガッツポーズをとるだけ。
その特異日とは「長年にわたって毎日の気象状態の平均をとったとき、特定の日に、ある気象状態が偶然とは考えられないほど大きな確率で出現し、かつその前後の日にはそれほど大きくない出現確率」である場合そう呼ぶそうですが、要は「絶対に晴れる」といったお約束ではありませんからね。
まぁ東京方面に行くとすれば11/11、12がベストな日にち。
どこかに行くなら平日、晴れに限ります。
今、観光地はコロナ禍解放の弾け組が大挙して大渋滞を起こしていますので土日祝日の移動に関しては相当の確率で後悔することになるでしょう。
尚、拙寺のバス遠足の日にち変更は今回で5回目。
今度こそ実施したいという意気込みで、その予約をさせていただきましたが、「様子見ながらまたダメだったらキャンセルしてください」と。
私どもと同じに何度も変更を重ねて挙句長らくツアーを実現できなかった例は多くあったはずですが、その間のバス、ホテル、食堂等、関係会社の痛みはかなりのものだったでしょうね。
海外旅行など縁遠い私ですが、航空業界の超絶赤字の件、先日来ニュースになっていました。
徐々に海外からの人流に門戸を開いていくようですが、六波襲来覚悟のうえのものでしょうね。
たとえ個人の死があってもそれは些末のこと。
国の経済は人の命よりも重いということでしょうかね。
病気になる人、死ぬ人は自己責任。「仕方ないね・・・」でおしまい。
さて、先日の岐阜円徳寺から。
信長が楽市楽座をこの寺の門前に開く前の話、天文十六(1547)に信長の父、信秀が加納口の戦いに大敗、多くの死者を出すとそれを弔うための塚が設けられたといいます。それが伝織田塚というもので、お花畑の中に宝篋印塔、五輪塔の残欠を見ることができました。
最後の画像⑧は慶長五(1600)関ケ原の前哨戦岐阜城主だった信長の孫秀信(三法師)についての直木三十五の小説から。
「秀信の部下は三十人しかゐなくなっていた。午後三時、秀信は城を出て上加納の円徳寺へ入って髪を剃り、十月二十八日高野山へ上ってしまった。 直木三十五」
➆は織田秀信髪切塚。タラレバですが「本能寺」がなければこの人が織田家の正当な継承者となったでしょう。
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