アミロイド溜まるの怖い 来週の知恵泉 南鐐二朱銀

昨晩、何となくイーテレ知恵泉「古田織部」を視聴しました。

番組が終わって来週の予告を観ているとそれが「田沼意次」でした。

南鐐二朱銀にスポットを当てた番組になりそう。

 

昨日は境内、本堂裏の掃除を奥方とジャブ程度に行い、午後からは史料館の入れ替え初日、後藤海堂展に行ってきました。

実はその展示物入れ替え初日の件はそちらに行って初めて知ったわけです。まったく別の要件で伺っていましたので。

そこへ長谷川氏の解説までいただきまったくいいタイミングだったとしか言いようがありません。

池田屋酒店からも2点ほど史料の展示があって改めて相良文化の深さを知りました。

 

お寺に帰ってお会いした方からその御主人について。

「大動脈瘤が見つかって手術した」とのことでした。

ステントグラフトというカテーテルによる手術で切開は無用、かなりお気楽なもののようでしたが、何よりその「爆発寸前」の動脈瘤の存在を発見してもらったことに意義があります。

たまたま別の部位の検査中にそれが見つかって緊急手術になったようです。

おかげさまで、「より一層元気にしている」とのことでした。

危ないところを脱出し、命拾いしたということですから気分は爽快でしょう。

 

この大動脈瘤に関わる突然死の件はよく耳にしますがそれと同様に「命拾い」の件もよく聞きます。

検査の際に大動脈にかかわる所見も同時に指摘していただけるということは有難いことです。

 

ポイントは「他の部位の検査」あっての「果実」であるわけというところ。ということはなまじっか「私は健康体、医者いらず」などと自慢している人がいますが、それとは関係ないところで進んでいるのが血管の異常ですね。滅多なことでは症状は現れず、体内で密かに進む時限爆弾のようなもの。

よって念のための定期健診は不可欠というところ。

突然「おさらば」とあっては我が身としては勿論、何より周囲を困惑させてしまいます。

 

その原因、まずは老化ということが理解できて、ある程度なんとか許容できるものならば自分なりにその病を了承して受け入れていく他はありません。

 

殆ど老化により増えるという物質に「アミロイド」があると最近よく聞くようになりました。血管や神経、体内各所に溜まって悪さをしていくわけです。

こちちらは徐々にゆっくりと浸潤堆積していきますので各発症にはそれなりに時間の猶予はありますが、気が付いた時は酷い結果が待ち受けています。

 

アミロイドは線維化した物質ですが脳に溜まればアルツハイマー、各臓器に溜まればそれぞれで機能不全を惹起。

特に心臓に溜まって「心アミロイドーシス」となれば「心不全」などの代表的疾患になることもあるそう。

心筋細胞が線維化するということですから本来の心拍運動ができなくなるわけで運動機能の劣えとして予兆出現することがあるといいます。大抵よく言われるのが「動悸息切れ」にむくみ、そして手の痺れ等々。

心筋不活動の最悪状態(心停止)を予期できるとのことですからそれなりに治療が進み延命ができるわけです。

 

まだまだ階段の数階の上がり下がりについてその「動悸息切れ」と歩行の遅さについての症状はありませんが、先日はたまたま7階建ての店舗に奥方と立ち寄った際、その7階まで行くことになりました。

 

そちらに向かうにはエレベーター、エスカレーター、階段の選択肢がありましたが我が家ではコロナ禍以前からエレベーター利用については論外。一度エレベーターで同乗者ゴホゴホに遭遇して風邪にかかった経験がありましたので。

ということで奥方に階段で・・・と振るもそれはイヤだと。

ということでエスカレーターを。

 

すると何故にして小学校の低中学年の子供たち(女子)がいたのかわかりませんが、下の階から猛烈な勢いで駆け上がってきました。

彼らのバタバタの騒ぎの文字通り後塵を拝せば、ウィルスを主に警戒すべき何かが舞い上がり、マスクを装着していてもひれに「被曝」することは必定と、より一層二人並列を強くガードするに及びました。

エスカレーターの追い抜きは現状、マナー違反でもありますからね。

意地悪、不寛容とお叱りを受けるかも知れませんが、この時節だけにそれを甘受することはできません。

 

彼女らの目的地はどうやら途中の玩具売り場。

そのフロアに到着するや否や私どもの間を割って入って突進。その中でも年長の子に、次の階に進みがてらに私は遂に一言投げかけました。「シッ」です。

その語には、静かに!、失敬な!、sit!、shit!・・・等々色々意味は解釈できましょうが、嫌悪すべき動物を追い払う時に使用する意味もありますね。まぁ後を追う女親に対しての内心「お前はそれでいいのか・・・」という警告でもありましたが。

 

まぁ、その件子供心ながらに察したのでしょう、割り込んだ際に触れた私の腕のこと「気持ち悪いなぁ~」と捨て台詞。

その際、もし私がそれを私の両親の前でやったとしたら(親の見ていない時はそれ以上の迷惑を人にかけながら成長したという反省はあります・・・)きっと父は勿論母にもブン殴られただろう・・・と思ったのでした。

 

まぁあの子にこれからどんな人生が待ち受けているかなど私のあずかり知らぬ事。しっかりと苦難を味わうことになるのでしょうが、それにしても「親」です。

公共施設の不特定多数の集まる場所の自由奔放ヨシの子育てというのは勝手ですが「大概にせいよぉ~」。

 

奥方からは「そう、カッカすんな・・・」と注進されましたが。

しかしその子が初めてもっと強い言葉で他人に非難、罵倒されたとき・・・というのが気にかかります。

私の如くお人よしで、気の長いオトナばかりとは限りませんからね。直接キレる人もいるはず。

失意に陥った挙句、無茶をやって自滅しようとするタイプかも知れません。

まぁ人の性質を決めつけるというのもイケませんがね。

 

人間は好きなことをする時は目が見えなくなるということを あらためて他人の子供から教わりました。

ホントは坊さんとして真の優しさが発揮できなかった私自身への反省も欲しいところですが。

ただし今、子供に何かを言ったりしたら逆に警察に突き出されるような気がしないでもありません・・・

社会を見回してみると今はなんて難しい世の中であるかわかってきます。

 

画像は日曜日に「女墓場」が行ってきました!!と送付してきた画像。妙高山とのことです

そちらは私にはまったく縁遠い場所ですが毎度彼女の運動能力と気合には脱帽です。ルートを変えて2度登ったといいます。