楽市楽座岐阜 長旗円徳寺 本願寺派のお寺です

昨日の夕刻はつい「寅さん」を観ていて失念していたブラタモリの戦国三傑特集でしたが、息子からlineでその念押しがあって慌ててチャンネルを変更。

昨日は当ブログでその番組について記していた傍から「忘れる」とはまたもお頭の具合を疑われることになりました。

 

「寅さん」の方は数度目でしたから全然OKでしたが何よりそのNHK番組にはタモリとの出演は初めてという小和田先生を見落としてしまうのは失敬なことですからね。

息子もかつて拙寺本堂でお会いした小和田先生のテレビ画面からの登場にはテンションがupするようです。

今後の成長も楽しみです。

 

番組で登場した色々の中で岐阜の楽市楽座の紹介がありましたね。

そこで岐阜市内の楽市楽座といえば円徳寺となりますので画像を引っ張り出してみました。

 

永禄十年(1567)に岐阜に入った織田信長(稲葉山城)が、当時の浄泉坊という寺の門前に立てた「楽市場・定」の制札が有名で、現在の円徳寺は改称後の名。

「長旗」とはかつての上加納村長旗にあった浄泉坊が前身ということです。

 

面白いのはお寺の宗旨。

浄土真宗(本願寺派)のお寺ということ。

その際は信長の支援、寺地寄進によってこちらに堂を建立しています(場所はこちら)。

信長が岐阜に入りたての時はまだ真宗寺院に対して目の敵にするような気配はなかったということ。

信長が真宗門徒(敵対勢力の呼び名は一向宗)ほか比叡山を敵とするのは畿内天下を支配するという野心を持ってからでした。

「大坂を退去しろ」の無茶を言い出しましたからね。

信長と11年に渡って石山本願寺に対峙籠城した顕如さんの消息文も寺宝として残っているようです。

 

堂内はスッキリとしてごくシンプル。畳ではなくフローリングでした。

拙寺の本堂のゴチャゴチャ感とは大違いです。

正面左側には七高僧の軸。それは当方と同じ、ただし聖徳太子像は右側余間に掛かっていました。

当流でもどちらかのお寺では右余間に七高僧と聖徳太子のパターンはありましたが、その辺りの件そう厳密ではないような。

当流ではそれら二つの軸は外陣から見て左側というのが決まっています。

 

正面阿弥陀如来から見て左側は親鸞聖人。右側は蓮如さんというスタイルはどちらも同じです。