私はワクチンを接種 阿弥陀はやれやれの私を摂取

市議会選挙が終わって週が明けた今般、その結果についてあれこれと推測・詮索するというのが巷の流れとなっています。

昨日お会いした人が相良全般の衆人の思いというものを語っていましたが、まず基本70代後半で年金を受け取りながらの片手間議員さんは「ちょっといただけない・・・」と。

時にリタイア後の時間の有効利用ということで立候補、当選されて「一度やったらやめられない」などの噂話を耳にしたりすると、やれやれ・・・とは思いましたがね。そういった話が世に広がって定着してしまうと次の当選はナイということですね。

 

そして今回若い方が比較的票数を集めて当選されたこと、着眼すれば、また別の方が言うには「若い人は市議お仲間の限界を知ると上を見過ぎる傾向がある」・・・市民が投資した分を回収する前に離れてしまわないか心配であるともいいます。

 

また、当落の境ですが、やはり地元の色々な集会などにこまめに顔を出す事が肝心と。それもちよこちょこっと来るだけでヨシ。

その場でニコッと笑顔で今傾注していること、問題点などを話せば「それでいい」のだそう。

「顔をだせばまずマイクは廻って来るはず」と。

 

お話ができれば顔を売る機会が増えるというものですね。

よって今国政あたりの候補者の流行りもの、ツイート、ホームページ、ブログ等についてせっせと時間を割いて体裁良くUpしたとしても田舎町の議員選では殆ど効果がないということでしょうね。まぁその国政立候補者では別にそれらを管理運営する者があるのでしょうが・・・

最近は党レベルで「フェイク」や「ヨイショ」のサイトを展開しているともいいますし・・・

 

ネット系にはダマシが多い。 

昨日はフィッシングメールの件、記しましたがこの世の中は虚偽ばかり。三界」・・・虚偽・輪転・無窮でした。

それを思うと本当にガッカリさせられるのが昨日のニュース。あのアベノマスクの未配布在庫が8200万枚もあるとのこと。

115億円分というから一言で「勿体ない」。

何が勿体ないかといえば、思いつきだけで大金をつぎ込んでムダの上にムダを積み重ねていることです。

その管理費用が6億円。ムダにムダな費用を重ねて出し続ける現状、呆れて物が言えませんね。

 

その軽薄な思いつきがなした軽率の反省、懺悔の言も無く、のうのうとしていられるその根性たるや・・・

見上げたもんだよ屋根屋の褌。

まぁ自分の懐は痛みませんからね。きっと彼にとっては取るに足らない「はした金」なのでしょう。

 

さて、今の世ワクチン接種について「2回目終わった?」は若者たちの合言葉。因みに息子は3連休を取って正解と。若いものほど副反応がキツイようです。

そしてまたニュースではアメリカのFDAがファイザーのワクチン の接種対象を5~11歳を許可したとのこと。

その世代の副反応はやはりキツそうな気がしますがそうなると親たちも大変です。

 

その接種と言う言葉。

字面は違いますが私ども真宗門徒でその語「摂取」を聞けば「阿弥陀」さんの顔が思い浮かびます。

まずは同朋奉讃形式の正信偈のあとにある御和讃、大抵はスグに「弥陀成仏のこの方は~」以下6首の拝読となりますが当流にある冊子上それに添えてあるのが「十方微塵世界の~」からの6首。

 

私の場合は枕経と通夜が別の場合、枕経にその「十方微塵~」の(弥陀経讃)5首+1首を拝読させていただいております。尚そのような決まりごとはありません。

そちらが

十方微塵世界の  念仏の衆生をみそなはし

   摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる

ですね。

御開祖の記した和讃ですが出典は観無量寿経。

 

 「一一光明遍照 十方世界

          念仏衆生 摂取不捨

です。

「一々の光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず」のところ。

この本願力「摂取」の凄いところが「ものの逃ぐるを追はへ取

る」という解釈もあってこれが我らの一押し、他力は他力でも絶対他力の有難さ。

アホでマヌケで軽薄、軽率のダメダメ人間の私だとしても南無阿弥陀仏の六字がちょいと口から出て、感謝と反省の気持ちが芽生えればそれが「信」と変わって「ハイ仏」。

一昔前の御門徒が喜んでいただいた「正定聚の位」となるわけです。

 

「真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す」                                                                    (末灯鈔)

 

それだからこそ、私どもは生かされていることを実感できています。

 

この観無量寿経の一一光明遍照  十方世界 念仏衆生  摂取不捨」の件ですが、この「一一光明」、阿弥陀作用の一つから祖父が私の名として銘々したとあって私は特にそちらだけでなく御和讃の「十方微塵世界~」の方も力を入れて拝読しています。

 

無知の躰で弥陀から逃げたとしても追いかけて捕まえて摂取救済するというのですから有難き事。まず捨てられることがないということは素晴らしいことなのですが気づかないのですよね、そもそもエゴに走りがちな人間は。

まぁその救済の確約に漫然と胡坐をかく私は「実は地獄行」なのかも知れません。

 

③は昨日の境内水屋の前のモクレン。白い花です。

昨年は剪定せず放置していましたが今年はよく咲いてくれました。よく見ると果実が一房。

境内にはもう植える場所がない・・・