昨日日曜日は午前の法事から。
この日は市議会議員選挙の投票日ということで、拡声器との張り合いはなくマイペースで進行できました。
先週の騒音からすれば格別です。
これが本来の秋の空であるとのんびりスタートの喚鐘を叩きました。ちなみに参院補欠選の立候補者の音声はこちらでは聞こえてきません。ド田舎はどーでもいいんですね。むしろそれでいいのですが。
扇風機もいらずストーブもいらず本堂の空気は心地よい。
これから半年以上の間、本堂の身に染みる寒さときたら半端ではありませんからね。
先日境内で立ち話した方はご商売をされている方。
「選挙は怖い」といいます。
店舗にたくさんのお客さんが来てそれぞれの応援候補者のパンフレットを置いていくので今、テーブルの上には10人以上のそれが並んでいるそうです。
誰もかれもその際は「よろしくね」と言って置いていくそうですがその方としては「ハイね」としか言いようがないと苦笑いしていました。
そしてまた以前はパンフを並べポスターなどの掲示を依頼されたこともあったそうですが、今はそれをやらないとのこと。
面白い話です。
その方が言うにはどなたかのポスターを「1枚貼るとお客さんが3人減る」と。
2枚3枚と貼っていけば店の客はいなくなる・・・?と考えれば義理堅くそれだけは「ハイね」とは気軽に言えないとのこと。
選挙には行くけれど投票行動の推奨には「ハイね」としか言いようがありませんが腹のうちは表に出さないのが商売人の心得ですね。
さて、先日、田沼意知だか意正かハッキリとは覚えていませんが(意知の可能性強し)その名が彫られた薩摩あたりの名工鍛冶に
よる刀剣が某コレクターより牧之原市に購入の打診があったことを耳にしました。当初脇差かと思っていましたが立派な拵え付きの大名刀と。
正式なプッシュではなくあくまでも周辺の人々への打診レベルのもののようですが、既に市長の耳には入っているとのこと。
まぁ今のところそれ以上話は進んでいないところなのでしょう。
お金のない牧之原市ですから、基本「無い袖は振れない」というのはわかりますが、もし私が決裁権者だとしたらまず何とかしたいと思う代物ですね。
要はその物の価値というかそれを今後生かすことができるかというところですが、元はといえば相良に謂れのあるものですからね。その刀からすればそれこそ「元の鞘に戻った」ということ。是非帰ってきて欲しいですね。
ところが、今のところ牧之原市は様子見である中、同じ田沼街道として所縁のある藤枝市ではその刀に食指を動かし、ちゃっかりと既に借り入れを進めていて11月にはその展示を行うといいます。
ある方は「藤枝市で購入してもらって牧之原市で借りる」のもいいのでは・・・とはいいますが、それを所有するコレクターの方はあくまでも相良にあるべきもであるとして「牧之原市に購入してもらいたい」と言ってくれているようです。
その御厚意も汲んでいただきたいものです。
値段?・・・その方の購入価格は300~400だったといいますが、まだ交渉にはなっていませんからね。
まぁその購入に対して賛否いろいろありそうですからね。
市長も即断は躊躇するところでしょう。
観光協会、教育委員会、学芸員の皆さんの総力で、何とか頼みますよ。
今言う城下町相良という地は「田沼」のみにあらず。
戦国~江戸期はもちろんそれ以前の各時代からそれなりに登場している地です。
それを「歴史ある街、歴史に造詣深いひとたち」であると決められるかどうかというのはその物差しを知りませんのでわかりませんが外見からは確かに事実として相良は「歴史ある街」としてあるはずです。
その「城下町」でかつては城持ち大名が居たというところは少なからずそれを標ぼうできましょう。
いわゆる、それは観光資源なのですね。
それがどうでしょう、相良はそれを利する術を生かしていないような気がしてなりません。
「お金がナイ」のは了解していますが、施策として今イチのような気がして・・・。
空振りは大いに結構、お金のかからないことでもいいので市民を広範囲に巻き込んで歴史の掘り起こしにチャレンジしていただけないものか。もっと、もっと・・・です。
空振り三振を怖がっていたらホームランは打てません。
昨日ブログでは諏訪原城に顔を出したことを記しましたがさらっとその先の日坂まで行ってみました。
川坂屋をざっと「変わりはないか」という具合で見廻すと、ちょうど日坂ではイベントがあったようです。
2件ばかりその宿場町時代の宿屋を利用した展示物を見てあるきましたが、先週には「《オンライン開催》東海道シンポジウム in掛川宿・日坂宿」が催されたことを知りました。
やはり小和田先生の講演(戦国末・近世初頭の東海道―掛川宿~日坂宿~小夜の中山を中心に―)がオンラインでありました。
ユーチューブでも見ることができますね。
日坂川坂屋は何度か訪れています。
まぁ変わりはないということで・・・しかしオープン日限定ながら建物を維持保存し担当者を常駐させるということはなかなかの力の入れよう。
②「坂か阪」の字。「どっちでもイイ」で収まるその感覚が歴史。④は大域の間の篆書のお軸。
⑥の土蔵の中は⑦蝶の細工がたくさん。
⑧は当流法讃寺の入口。大域の石碑が立ちます。
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お祭り大好き (月曜日, 25 10月 2021 02:34)
「田沼家の大名刀」は、生誕300年大祭を挙行し意次城下町をキャッチフレーズにしている牧之原市には貴重な資料と考えますが・・・・・。
牧之原市史料館における11月の「まきのはらを築いた人々」の企画展は、後藤一朗さんです。 独力で田沼家関連資料を収集したのみならず、革新的な老中として清水書院から1971年に「田沼意次」を出版したうえに1972/10/18水には当時の第一人者大石慎三郎さんも招いて、平田寺にて初めて「田沼意次侯顕彰大法会」も斎行しています。
牧之原市行政執行者には、後藤さんらの寄託物利用に満足することなく生誕300年大祭と同様に自らの積極的な行動を期待したいですね。 一過性のイベントより牧之原市にとり有益と感じます・・・。
とにかく心あるみなさんは、11月も企画展見学に牧之原市史料館に出掛けましょう!
今井一光 (月曜日, 25 10月 2021 18:32)
ありがとうございます。
なかなか直接にその思いを市民の皆さんに浸透させていくことは難しいことですね。
じっくりわかりやすいアピールを続けていただければいいのでは・・・
ポイントとなる部分には適宜おカネをかけて踏み込んでいただかなくては。
スグに資金回収しようとの期待はできませんが未来文化への投資も必要です。