「ブースター」とかいう3回目のワクチン接種ですが、今年中には始まるよう。
そりゃあコロナの予防ということなら私も従順に受けたいとも思いますが、果たしてそのようなシステムに乗っかって安寧の果実を独占していていいの?という気持ちも起こります。
当初WHOが言っていた~2度接種したのだから3度目などと言わず、まだ1度も打っていない国にワクチンを回しましょう~の声はトーンダウンしてしまったよう。
「まず自国民を」という姿勢は国内への説得力はありましょうが、それではワクチンが入手できない国からすれば「健康と安心の独占」以外の何物でもないでしょうね。
「3度目を買い上げて確保しました」の手柄より、「お先にどうぞ」とそれを譲って淡々と新コロ対策を持続しながら耐え、機会があればその3度目を接種すればいいのでは・・・
世界からはズル賢く生き長らえるというところを見透かされますよ。それが「先進国」とやらなのでしょうが他のすべての善意が今「偽善」だったと・・・雰囲気が一変するかも知れません。
さて、南山城、木津川の田舎の部分を歩き回っていましたが、ちょっとした住宅地の中に重厚感溢れる少々イカした五輪塔にお目にかかりました。
如何にも元は寺院として参詣の人々を集めたであろうその御堂の裏にありましたが、こちらの地名が「木津川市木津殿城」(場所はこちら)と一段と興味をそそる地名になります。
「木津の地は古代から山城国より大和に入る水陸交通の要衝で、平城京の港町として発達した。中世に入っても、材木座・塩座がおかれ、問丸が発達するなど商業の中心地として栄えたが、一方、木津の馬借がしばしば土一揆を起こしている」(城郭体系)というのがこの周辺のロケーション。木津川が大きく湾曲している場所になります。
この「殿城」にはその字面の如く、元はといえば城館のあった場所だといいます。
殿の城というくらいでこの地区を治めていた領主(木津氏・・・)が住まう館がありここから南東方向の丘陵城山の木津城と分けて言った歴史があってその名が字として残ったのでしょう。
また、城郭体系から転記(京都府地誌 木津村誌)すれば「木津某邸址ハ村ノ東北字殿城(とのしろ)ニアリ。四履欠ク面積凡三百坪。里老伝元弘ノ頃木津某ノ築城スル所ト。
天正中ニ木津某ナル者此ニ居ル。慶長中徳川氏ノ為ニ亡ボサルト」とあります。
そのちいさな堂の裏で「どん」という具合に意思表示をしている五輪塔が和泉式部の墓と言われています。
「墓」とハッキリ主張しているところ、地元の気合を感じますが彼女の墓といえばあの巨大な宝篋印塔を思い出しますね。
世の人々の人気もあってその追善の供養塔らしきものも各あり、また実際の墓の確定要素は無いようです。
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