昨晩はNHK「クロ現」の「孤立という病」を視聴しました。
コロナによって外出ができなくなって、運動不足。人とのコミュニケーション不足から鬱になったりの健康の危険性が高くなってしまっているとの警鐘。
これは高齢者に限っての話ではなく「誰であっても」のこと。孤独・孤立は心身にとって具合が悪い・・・その「孤立」の不健康さを表すのに「タバコ1日15本分に匹敵」するといいますから、タバコを吸わない私としては相当のダメージを思います。
マイアミ大学の調査(18~35歳)では孤独感により増加したもので飲酒58%、薬物使用56%、不安76%、鬱78%といいます。
タバコ15本のほか、アルコール依存症と同等、肥満の2倍、早死にするリスクが5割アップとも。
英国では孤独対策について「孤独担当大臣」を設けて日本もその件、後に続いていますが、その部署、仕事の内容も成果もなかなかわかりにくいものがありますね。
老若男女関係なく、その孤独(非社会性)が体に不調をきたすのですが、体力が衰えて「できないこと」ばかりが増えていく年配者の場合はかなり深刻です。
その件承知はしていながらも今年のお寺の各家のコミュニティー「お取越し」をやめてしまったこと、うしろめたい気がします。
1週間1か月、独居の上「人との会話がナイ」となればあっという間に人は衰えるということ、かつて何度も見てきました。
もし、このまま新コロが収束したとしても一旦孤独期間を味わった人たちの「後遺症」についての出現も怖いですね。
特に若い世代の長い精神的鬱屈からの何かの反動的アクションも考えられます。そちらの方は突発衝動もあって予知不能ですから事前のケアもできません。どういう対策をしていくの・・・?
さて、久しぶりに浜松市内。
静岡県博物館協会(平成16年度)「遠江西・中部地域の中世石塔の出現と展開」なるネット上にアップされている文献には県内の石塔についての学術的解説があって興味深いものがあります。
私がのんびりと150号線で浜松市内に向かうなどする場合は天竜川を渡って頭陀寺方向へと辿るわけですが天竜川の名所というか(大渋滞の)掛塚橋を渡ってスグのところに本光寺があります(場所はこちら)。
そちらのお寺の位置についてその文献の記述を転記します。
「現在の天竜川本流の河口付近西岸に位置し、対岸に竜洋町掛塚を臨むことができる。掛塚付近は中世において外洋に面した湊として栄えていたと考えられる。」
天竜川が各時代に流域を変更し、特に頭陀寺辺りの浸水害についての歴史を聞いていますが、この掛塚付近が中世には外洋に面していたという件は横須賀の姥ケ懐もそうですが大井川あたりまで広範囲に海岸が隆起した歴史があったというところに合点した次第。遠州灘は隆起して海岸線は後退している・・・
湊があるということはそれは物流の起点であって当然に人、物、カネの充実と繁栄があったことが推測されます。
そして「寺には石塔の来歴は伝わらないものの、掛塚湊を管理していた有力者が寄進した石塔であることが推測される」とありました。
安山岩製宝篋印塔の件で「同一個体ではなく同サイズの宝篋印塔が最低3個体あったと思われる。」
ありがちです。
14世紀~15世紀頃の造立とのこと。
相輪部分は欠損し、塔の下に転がっていましたが失礼して笠の上に載せてパシリ。
やはりコロっと幾度も転がしてしまっているのでしょうね。
私どもの子供の頃の遊び場といえば墓地。
地震による崩落もありますから相輪は欠損しますね。
他に一石五輪塔も。
最後の画像は首をぶっ飛ばされた石仏。
明治期の廃仏毀釈の罪。
子供が遊ぶにしろ、こうスッパリとは首は飛ばせません。
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