昨日は最近あまりお目にかかることがなくなっていた檀家さんから電話がありました。
問われたのが「大澤寺はお東だっけ?お西だっけ?」。
突然の電話で「そこ・・・」とずっこけるところでした。
東であろうが西であろうが、親鸞聖人の教えというところは一緒で檀家さんサイドからすれば「どちらも同じ」であって、京都駅から見て「京都タワーの真後ろのお寺」はどっちだったか・・・
などなど普段の生活の中で「どっちでも・・・」のレベルなのでしょう。
応えは極シンプル「お東です」「はいそうですか」でお終い。
その件どうやらお内仏を新調するようでした。
金仏壇と言っても東と西ではかなり違いますし、中央の阿弥陀さんの脇のお軸も違いますので、仏具屋さんにその確認を念押しされたのでしょう。
しかし朝からのそのシンプルすぎる設問には驚かされましたがある意味そのお内仏新調の件、奇特なことであると思ったのでした。
お内仏の開扉式を今年だけでも4~5回ほど行っていますがそれはお内仏を①古いものから更新新調②新規導入がありますが(上記の方は①)、①といえば家の建替えか引っ越しというタイミングになりますね。
要は以前の先祖伝来の伝統的真宗金仏壇(お内仏)を処分しての新調ですが、その際まずは「コンパクトなモダン仏壇」への変更となってしまいます。
理由は「場所が無い」そして「嫁が・・・」となるのがどちらの家でも同じこと。
真宗坊主としては昔からの先祖の意志を受け継いで次代に繋げていって欲しいという願いがありますが、そこは各家事情があるわけで私が強くそれを要請することはできません。
昔ながらのお内仏がモダンコンパクト型になってしまうことは古い仏具製造の技術が無くなってしまい、業種としての仏具製造業が衰退してしまうことは寂しいことですが、そのモダンタイプにつきものの焼香鉢やお鈴まで凝ったものに変貌していますので初めて出会うものが多く大抵の場合、ドギマギさせられます。
そして、コンパクト過ぎて御燈明用の鶴亀はあっても実際にローソクーに火を点けるのは躊躇させられます。天井がこげそうで・・・。実際に古いお内仏であっても燈明からボヤ騒ぎに発展した例がありました。
私は開扉式でお灯明に火を灯す場合、その天井の熱の件を考慮して、「こういう事情で・・・」と一言付け加えて、仏前の机に移し替え点火しています。
勿論、お内仏の燈明からの火事が多いこと注意は怠れないとも、その機会に添えさせていただきます。
さて、昨日の小栗判官一党の墓域ですが、その伝承の記された標識(藤沢市教育文化センター解説文)とその墓を建てたといわれる照手姫当人の墓があります。
石塔の形状はやはり宝篋印塔の塔身部分が五輪塔の水輪に替わっているもので昨日の小栗らと同様。
また近くにはやはり「照手姫が建てた」といわれる地蔵たちに名馬「鬼鹿家」の墓も。
掲示板には十勇士の名と戒名が記されていますが、「時宗は戒名っていうの?」が私の第一印象ですが、さすが時宗、すべてに「阿弥陀仏」が入っています。
③「鬼鹿毛」は各演出多様の暴れ馬。小栗が乗り回したということで。
⑥は近くにあった「観無量寿経一千部供養塔」ですがやはりその経典の名が出るということは「照手姫」が韋提希に自身準えて主に拝読したのでなかろうか・・・と想像しました。
最後の画像は名号板碑まだまだあるよ・・・の図。
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