飛雲閣は京都新城の天守閣? 「秀吉の城」

一昨日は小雨の中、郵便局にクリックポストを出しに行きました。奥方が横浜の「奥の墓道」氏の所望により「薬 ヤク」(黒にんにく)を送付したということです。

ところが昨晩21時の段階で未配達のままでした。

これまで宅配便と同様で翌日配達が常でしたので明らかに異常。

その原因として磯子郵便局で新コロクラスターが発生。

29人がダウンしたというニュースがありました。配達員がいないから遅延というのはまぁわからないでもありませんが、企業サービスの責任というものがあるならば是が非でも配達完了するというのがプロでしょう。

ちょっとした荷物を送るに格安便利なその配送アイテムでしたが大いに裏切られましたね。

 

さて、先日は「京都新城」についての番組放映について記しました。

その「幻の城」はその昨年の遺構発見から晴れて「幻」が外れたのですが発掘によれば高い塀に囲まれ中には堀が廻らされていたとのこと。

番組ではその「城」の縄張りとして土御門殿が紹介されていましたがそちらが藤原道長邸のあった場所。

秀吉が「関白」の地位を秀頼に世襲させたいという意図がこちらでも見えてくるというワケです。

 

関ケ原前夜、西軍の手で壊されたといいますが、それは結構に意外。内裏に近接していることから戦乱は憚られるとはいいますが、東軍家康の手に落ちたとしたら最悪・・・などと考えたのかも知れません。

 

これで話がわかった・・・風の結論の如きことを記しますが、秀次事件で聚楽第を打ち壊したその遺構であると言われてきた飛雲閣でしたが、そうは言っても飛雲閣建設の時代は微妙に聚楽第よりももっと後の建築であるという異論もあったそうです。

ということで、今回の京都新城の発見により、あの飛雲閣はこちら藤原邸跡にあった新城のもの・・・というのが歴史の訂正事項。

 

現在の西本願寺の飛雲閣は京都新城が解体され、持ち込まれた材で庭園と共に再建築されたということになります。

ということで飛雲閣は京都新城の天守閣だった・・・のかも知れません。

 

①画像は平成24年の大坂城の企画展「秀吉の城」のポスター。

その年のバス遠足の出し物は大阪が二日目、初日の京都は飛雲閣と西本願寺の裏側探訪の出し物がありました。

「秀吉の城」に「京都新城」が一つ加わったことからまた新たな企画展が催されることでしょう。

もっともまだ登場したばかり、メジャー化していないこの城だけでも十分に探求したいという方はいるでしょうね。

それだけ画期的発見でした。

 

②~画像は檀家さんからの頂き物。

これからまた飛雲閣を見直したいという人も増えて人気のスポットとなるのでは。

秀吉らしくない渋さ溢れる建築物です。

鐘楼は元和四年(1618)に再建されたものの再再建で平成のものですが、いたく豪奢です。

あの鐘楼は絶品でした。