古宮城は三河一番 武田流築城術の基本

昨日、奥方は一昨日叔母の家から持ち込んだ冷蔵庫を殆ど一日かけて掃除。ヘロヘロになっていました。

私の母の件を思いおこして「齢を重ねるとどうしてこれほど冷蔵庫が汚くなるんだ!!」とボヤいていましたので私は「人は皆そんなもの・・・」と。

 

午前中は雨でしたので各引き出しや中のプラスチックケースを外に出したままにして、雨ざらし。中の壁をクリーニング、午後お日様が出てきたあとはそのケースたちの汚れをホースを持ち出してから水流とタワシでごしごし。

私はその仕事に一切かかわりませんでしたが、そのあと電源を入れて、「冷えなかったらどうする」など、ニヤニヤしながら「徒労に終わるね・・・」などととネガティブな嫌み。

 

しかしまぁ、うまいこと電気が入り、しっかりと冷え、奥方はニンマリしていました。

尚、「臭いが残っている」と言うので「本堂供えの炭を入れれば・・・」と提案するもそんなものは「イラネ」とばかりに市販の脱臭剤を購入に走っていました。

 

これで1年分遊べる・・・と。

にんにくの仕入れはそろそろ終いになるよう。

これから「ガッツリ仕入れる」そうですがその保管用の冷蔵庫は必需とのこと。それに入れておかないと発芽してしまうといいます。

 

吉祥寺の叔父叔母は黒にんにくにやはりハマって昨日は炊飯器(保温器)を調達したとの連絡がありました。

黒にんにくは炊飯器だと2週間ほど突っ込んでおくだけなのですが、その最後の数日に少しずつ味見をしなから熟成を止めて(保温器から出す)数日乾燥します。

そのタイミングによって味が変わってくるようですがそれは経験と試行錯誤そして好みの問題。

 

にんにくの上等のモノは青森というのが定番ですが、ここ相良でも暖地用のにんにくの種を栽培していけばこのにんにくブームに応えられるではないでしょうか。

にんにくは無農薬というのがウリですので海外産などは嫌われますね。

 

休耕地をお持ちならやるべきでしょう。ただしそう簡単にはいかないようではありますが。

以前はウコンや朝鮮人参の栽培推奨の件を記しましたがにんにくも悪くないと思います。

奥方など「全部買い取る」などと息巻いていますから。

 

さて、昨日の古宮城の曲輪へ。

この城は一言で武田の三河進出の橋頭堡といっていいのではないでしょうか。他にも長篠城、野田城もありましたが。

武田の遠州進出のベースが高天神城、諏訪原城との如くです。

今川の尾張進出のそれがまた大高城でしたね。

 

その進出の手がかりとするベース基地はその維持にとかくこだわりが強くなって、つまらぬ執着も。無理が伴うこともしばしば。

要は自国より遠く離れ、敵地奥深くまで戦線が伸びきって兵糧の補充の心配が付きまといます。そもそも敵地の対抗勢力を制圧してのものですから、いつそれらが再び反抗するか不安定な心理状態が続きます。

 

よって、しばしば無理がたたったうえそれをきっかけにして家そのものが危うくなる事象がうかがえますね。その手のものの筆頭といえば今川義元の桶狭間での死でしたが、あの大高城に入る直前のことでした。

上洛の基点という必要不可欠な要所でしたからね。

 

一方武田の進行も一時は怒涛の如くでした。

まぁ他国に侵入して領地を「切り取る」を主眼にするのが戦国時代ですので今川家が一掃されたあとから武田が駿河・遠州・三河へと進出していったのには理由があったわけで。

結果論ではありますがそれをあまりにも手広くやりすぎたのが武田でしたね。兵力分散ということもあったでしょう。

 

こちら古宮城は敵方の城塞を攻め落として改築したものではありませんでした。

純然たる武田の手による城塞になりますから、遠州諏訪原城と同様のものになります。

諏訪原城ほどの規模と要害性は感じませんが(比高20m)、「三河一番の武田の城」ということは確定的。 

 

当初の通説では、近くの亀山城の奥平氏の監視のために築かれたのでは・・・と言われていましたが現在は、規模の大きさと馬場信春自らの手による縄張りということもあって、武田方の三河の拠点とする意図の方が強く窺えると。

 

いつもの城郭大系の評価では「武田流築城術の基本」。

曲輪・土塁・堀等、林の中にその存在を目前に窺い知ることができます。