昨日の静岡県の新規感染者数は632人で牧之原市は21人。
「陽性率は横浜よりも静岡の方がヤバイぞ」と横浜の「奥の墓道」氏から夕方にメールがありました。
私は大して気にしてはいませんでしたがその当地の21人という数にはさすがに驚かされました。ジワジワ来ている感じがします。
本来の予定ならば明日月曜日が横浜の彼が1回目のワクチンを接種する日でした。
彼は昨日午前に突然キャンセルを思い立ったとのこと。
それは私含めてそのワクチンによる反応のいろいろの件、周囲から聞いた挙句の判断だったそうです。
1回目はその当日も翌日も、2回目はその翌日も仕事ということでしたから私も「よくもまぁ・・・ 楽しみだ・・・」くらいの事を言ったものでしたがそれを受けてのことだったのでしょう。
ただしキャンセルは衝動的だったようですぐ後から後悔していました。
要は次の接種は列の一番最後に並びなおすということで「時間が勿体ない」と反論しましたがすでに遅しでした。
自分のスケジュール(ワクチンの予定)を元に仕事の方を調整すればいいことですからね。
そして昨日は朝一キャンセルをしてから各接種会場に予約の問い合わせをしまくっていたようです。
そして予約ができたのが10月1日と。
1か月以上の遅滞となってその分、感染リスクと対峙することになりました。自分でも「アホだった」と。
彼も私と同じ、行き当たりばったり、脈略無い思いつきで物事を進める傾向があります。
やはり思いつきでパッと動いて、それがバッチリ決まったとすれば有難さ嬉しさを思うわけですが、それはそれで失敗も多いもので時に痛い目を見るのでした。
しかし今、もっともっと痛い目にあっているのは日本の国民でしょう。当局によるコロナ対応の拙さに曝されて。
すこーしずつ、すこーしずつ緊急事態と緩和を交えながら、「GO TO」をやったりやめたり五輪強行したり、人々の緊張感が徐々に消えて「漫然 大丈夫」の雰囲気が醸成された頃にデルタの猛威。これがいわゆる「茹でガエル」の比喩警句の如し。
ただし本当の蛙はしっかりと温度(環境)変化を察知してちゃんと逃げ出すようですから蛙は利口者。
やはり人間の方はアホなのか・・・。
その件、人間そのものの性なのか脳科学の領域なのかわかりませんが今一つその手のもので神経系に病魔が悪さをしているだろうと考えられる、致命的なものに「幸せな低酸素症(ハッピー・ハイポキシア)」という不思議な症状があります。
軽症者のレッテルを貼られて(昨日)「パルスオキシメーター」なる器具で血中酸素量を計測されますが「とりあえずこの数値ならまだ大丈夫だろう」(90~95)ということになりますが、大抵の場合「苦しくないですか?」の問診。
すると「大丈夫です」という具合になるのですが、その際、医療関係者は「苦しくなったら連絡してください」の言葉を残して「それなら帰ります」としっかりした返事を確認して次の患者へ。
それから「自宅療養」というものが始まるワケですが、症状が進んでその血中酸素の数値が下がって(肺炎の方が進行して)も当人は苦しさを感じず、急変するまで周囲の人はわからないというメカニズム。
独り暮らしであればそれに気づかぬうちに亡くなるというパターン。急変、意識不明のまま亡くなっていくのでしょうか。
私もよく聞いたダイビング中のブラックアウトのようなものを想像します。ハイパーベンチレーションなど脳の錯覚も・・・
まぁ一言で言って環境の悪変化にずるずると「まだ大丈夫」と漫然を続けていくといういわゆる「錯誤」ですね。
当家にはパルスオキシメーターはありませんので奥方のスマートウオッチのオマケについているその機能で計測。
意外に「そんなものだろう」という数値を表示していました。
息を止めたり吐いたりすると数値が変わりました。
96以上が正常、90以下は救急車と解釈しています。
よって95~91が怪しい状態。注視する必要のある状態だと。
現状、品薄とはいいますが、医療用ではないものでも一つ自宅にあれば安心でしょうね。
私は酸素濃縮器まで「欲しい」と思ったくらいですが、そこは奥方にその衝動は・・・「それよしなよ~」と冷静に諭されました。
カエルといえば最近でいえばボクシング女子の金メダリストですがやはり高山寺鳥獣戯画も・・・
どちらからも受け取れるその楽しさ、愉快さは気持ちがいいものがあります。また子供時代を思い出しま。
コロナ禍の「茹でガエル」の譬えとはぜんぜん違います。
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