阿弥陀脇侍に十一面観音の登場 ツジンドの焼け仏

昨日の静岡は236人で過去最悪。全国で15753人も最高。

自宅療養者が1か月で11倍になっているといいます。

トーキョー(4566人)ではその自宅に押し込めた療養者をフォローしなくてはならない食料支援について遂に「枯渇した」といいます。現状、納品が4日遅延しているとのこと。

五輪で日々たくさんのムダ(弁当廃棄)を出しているのに4日も外出できず、「差し入れを待て」などとは笑止。

どういう口がそれを言うのでしょう。

まぁコレを矛盾だらけの機能不全といいます。

 

静岡県内の蔓延防止の指定は西、中部では浜松市のみで静岡市以東の神奈川側が主となっています。

よってこのド田舎相良は指定外になっています。

すれ違う人がいないというのはいいことですが私は日々檀家さん宅の仏間に上がりこみ読経機会の増える時節。

密空間、猛暑空冷の室内において少なくない人の集まりは、まずヤバイですね。

 

当初は絶対にナイと言われていた「空気感染」ですが、今はそれを「エアロゾル」なる名称に変えて、注意喚起しています。

昨日は読経後に提供されたお茶を頂こうとマスクを外した際、紐が突然切れてしまってドギマギさせられました。

終わった後で「よかった」とは思いましたがもはや「勝手にしやがれ」の心境。お茶も「出されたら飲む」が一義ですから。

 

全国的にお盆期間に法事を予定している家はコロナ禍にあっても比較的多いでしょうね。

お盆アケの1~2週間は結構に感染者が増えるような気がしてなりません。

 

国の方で「仏事・法事も自粛して」的なことを発してくれれば良かったのかも知れません。

お盆について日本の文化ですからそこは言えないのかもしれませんが「不要不急」の範疇とは断言しにくいところではありますが。

 

私としては依頼されれば淡々と受けさせていただくのみ。

まぁその四文字(「不要不急」)の意味について今一つ説得力の無さを感じますが。

 

お盆の季節(7月~8/15)を迎える前に「坊さんにもワクチン2度接種」くらいの発想があっても良かったとは思います。それは自己保身ではなく他者への配慮という意味で。

 

坊さんは「コロナ怖い」と怖気づいた躰を見せられないのは(本当は怖い・・・)蓮如さんの御文「疫癘」などを拝読し「生老病死」は人が背負いこんだ大荷物であると語っているからですね。

よってその件どちらの宗派であっても大概はその傾向(断れない)にあって、招かれれば堂々と密空間にお邪魔することになるのです。

ということで坊さんがウィルスのキャリア(感染源)となってあっちこっちに広げることになるかもしれません。

 

先方檀家さんの方も「坊さんに限って・・・」などの過信があるようでついついその大切な仏事を修めることを優先したいという気持ちにもなりましょう。

日本のお盆の習慣について無理解だった施策があったということですね。

もはや「なるようにしかならない」・・・です。

 

都内の有名デパートの感染者続出の件、地下の食品売り場と1階フロアに集中とありました。

これで今後、デパ地下を彷徨っておいしいものを探求するという楽しみは当分はお預けのよう。

やはり地下街とはなれば「空気感染」真っ盛りとなるのは理屈的に合っています。

 

想えばつい先だってのこと、4月~5月ごろでした。

毎日のようにテレビ画面に上った南米の墓地埋葬風景、そしてインド国内の画像、衝撃このうえないものがありました。

そのインドの情景は火葬場でした。

 

たくさんの人たちが火葬してもらうためにチケットを購入してその列に遺体と並ぶ様子、そして急場で拵えたブロックを積んだ台の上、火炎と漂う煙。この世のモノとは思えない絵図でした。

 

その時、あの地で人々から「無い」と訴えられたものはたくさんありましたね。

クスリにワクチンは勿論、病床に酸素ボンベといった医療全般というのが定番でしたが、この特殊の場でもあがった「無い」という切実が「薪」だったといいます。酸素ボンベを自前で用意しなければならないほどの医療崩壊も驚かされましたが・・・

薪とは遺体を火葬する燃料ですが、それすらが入手できないほど死者が出たということです。

 

現在、トーキョー筆頭に感染爆発を起こしている新コロの変異株の一つ、「T478K」というタイプ(通称インドで変異し感染爆発したので「インド株」)、そして今日本で流行っている「デルタ株」のことですね。トーキョーの新コロ感染者のうちその84.4%が「T478K」に変わったとのこと。

 

世界中の学者たちがコイツはヤバイ、と春先から指摘していたことを思い出しますが日本の政府は開催予定の五輪のためだったのでしょう、そういった警告についてどこ吹く風の躰を決め込んでいました。

まるで「日本はインドとは違う」といった無根拠なまた、鎌倉期の元寇の際の奇跡(神風)をも期待するかの如くのノー天気さ加減でした。

日本には感染爆発は起こらない・・・などの奇天烈な詭弁まで。

 

それがどうでしょう。

この様にまでなってまだ尚、感染爆発力の衰えは見えてきません。

 

当時の記事を思いおこしてみれば、その「T478K」、あたかも

シュワちゃんの映画「ターミネーター」シリーズに登場する新種のロボットのような名ですがその進化ウィルスについて「なるほどね」とわかりやすく「捕食者」の譬え話をしていました。

 

英レスター大学の臨床ウイルス学の教授がインタビューに応えていた記事です。

「中国・武漢株がハイエナならイギリス変異株やブラジル、南アフリカ変異株はライオン。インド変異株(T478K)は陸上動物で最速のチーター超え」などとその感染力(瞬時に捕らえる)の強さについて指摘していました。

 

そしてその記事の締めくくりに

『日本の菅義偉首相は東京五輪・パラリンピックについて「人類が新型コロナに打ち勝った証し」としてからトーンダウンしたものの、依然として「世界の団結の象徴として開催を実現する決意である」と世界に向けて表明しています。

予定通り開催すべきだと考えますか・・・

なる質問があってその時の教授の応えが

 

「正直なところ、私の考えはノーです。

このウイルスは世界で最も高齢者の割合が高い日本全体に広がる恐れがあります。日本の65歳以上は総人口の28.7%。

ワクチン接種、自然感染による免疫が十分でない状態でコロナの全国的なアウトブレイクが発生すれば日本にとって大災害となる可能性があります。

日本は五輪なしでも生きていけますが、ウイルスが日本中に広がると多くの高齢者が亡くなります」

 

そういった警鐘が国内はもとより全世界の知者より寄せられていたことを私は知っています。

その教授の危惧、高齢者の感染は今のところワクチン接種の先行で抑えられていますがそれより若いワクチン未接種世代の感染爆発が広がっています。

 

それを無視してノー天気の五輪を強く進め、現状のありさまを提供したことについて、五輪開催と感染爆発について「そんなの関係ねぇ」とばかりの、態度。

 

五輪番組も多く取り上げられて日々食い入るように見入る私があるワケですが、こればっかしはガースーのおかげとは思えませんね。

国民全体もそういう感じでしょうし、ガースーはどんなに日本のアスリートが活躍しようが誰もその手柄としての評価はナシ。その思惑があっての強行だったのですが、大いに外れたというワケで。

 

票をあつめようと人気をあげようとするのならば、「あと1年延期させてください」と決断した方がよかったと思いますね。

観客のいない競技場、地方交流の無い異質、ボランティアを絞りに絞った五輪を無理くり進めたことの咎。

それによって感染爆発を惹起したことは大罪に値します。

まぁ仏教徒でなくとも地獄行き間違いなしのお墨付き。

 

人心を読むことが下手クソということではありますが、「自身の任期中に・・・」といった見苦しい思いがみえみえ。

やることなすこと苦笑の連続、何から何まで変てこなソーリ殿でした。

日本の政治、歴史的に見ても大いに名を残しましたね。

 

これからこの五輪による感染爆発についてどうシラを切って「無責任」の躰を晒していくのか一つ楽しみにもなりました。

どんな手を持ってこようが後手後手でいわゆる泥縄の躰。

これを「焼け石に水」ともいいますね。

 

私の如くの庶民がそれを傍観できる余力があるのかもわかりませんがとにかく傍観するばかり。

彼らには真っ先に噂の「カクテル療法」を受けられるという奥の手が控えていますから「命」そのものについては護られていてきっとお気楽のことでしょう。

ただしその政治生命については私含めて庶民のあずかり知らぬところ。

 

昨日もブログで触れましたが「T478K」の上を行く捕食者、南米で猛威を振るうラムダ株がどうやら控えている感があります。

初めて日本国内での例が出たということですが、五輪によって南米からたくさんの人たちを招きましたから十分それは納得できます。

その変異ウイルスはワクチンが効きにくいといいますからね。

世界が近づきすぎたということがこのパンデミックを招いたという結論が出ますが、そんな時にわざわざ五輪を開催するなんて・・・これからどれだけの死者が積み重なっていくのでしょう。

 

先般お隣の真宗大谷派のお寺、了見寺の堀住職が還浄されましたが葬儀式一連のお悔やみは殆ど省略されたようでただ1枚の書付が届いただけでした。病床にあったことは承知していますが当然にこの時節だけにその蔓延による何かを想像してしまいます。

 

気さくで控えめ、体の大きい割に優しさの溢れるご住職で思いおこす場面多多あります。

いずれ焼香に参りご挨拶したいものです。

 

さて、「焼け石」といえば石仏も場合によっては焼失はしないまでも高温の炎に露されて石質によっては崩壊箇所が発生します。

当尾にもその手の石仏がありました。

それは「焼け仏」なる名が残っていますが、勿論石が燃えるワケではありません。

いわゆる「辻堂」の類でそういった木質の覆い堂は常夜灯などの火の不始末で火災が起こるというのはよくある話です。

古い時代の御堂の火災といえば殆どが灯火の始末か時に戦乱(空襲による戦火も)による放火でしたからね。

 

こちらの焼け仏はかつてあった辻堂の本尊でその辻堂から「ツジンドの焼け仏」とも。

中央に阿弥陀仏を置いた三尊形式のようですが、損傷がキツく一見したところ、よくわかりません。

それにしてもこの損傷は何度も何度も焼けた感が漂ってきて痛々しいものがあります。

 

手元の史料によれば阿弥陀仏の脇侍に地蔵菩薩と錫杖を持った十一面観音とのこと。

この地区には阿弥陀+地蔵の姿はよく遭遇しますが三尊形式で錫杖の十一面観音というのはこの地区の特異性でしょうか。

藪の中の三尊摩崖仏の並びは違いますが、十一面観音を呼んできたところはやはり長谷寺を意識しているのでしょうね(場所はこちら)。

あの大門仏谷の大きな阿弥陀摩崖仏方向に辿る辻となります。元亨三年1323の銘。

 

ちなみに拙寺に残る法然さんが書いたといわれる阿弥陀三尊のオーソドックスなカタチは阿弥陀+向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩ですから、勢至菩薩を地蔵菩薩に置き換えたという形式です。

阿弥陀仏の両脇に菩薩(修行者)のスタイルは同等ですが、その菩薩として地蔵をコンバートしてくるのは真言系の阿弥陀浄土の感覚が出ているのかと。

 

見ての通り「焼石に水」があったことが推測。

急激な温度低下によるクラックが見て取れます。

その傷口に手元に残った1円玉を差し込むそのこころ、見ていてくさくさしてきます。何の意味?

御利益どころか大バチあたりの行為とお見受けします。