東京在住の叔父に「相当ヤバそうだがどうよ・・・」という感じでメールではなく電話をしてみました。
実は昼間に連絡した際「これから出かけるので夜10時過ぎに・・・」と告げられていました。
「このご時節どちらに・・・」と思いつつ約束通り夜間に電話してみました。
すると「講演会を満喫してきた」と。
「よくもまぁ・・・」と呆れていると「各報道で騒がれているほど緊迫感など全くない。みんなヘイチャラだよ」と言われてしまいました。
それでいてチケットは2枚購入していたそうで直前になって奥さんから「怖いから行かない」と断られてしまったそう。
叔父の安心の理由は会場の体温チェックとアルコール消毒にマスク装着、席は1つおきということで「完璧」との主張。
奥さんの性格については「何事においても怖がり」ということでした。
私はそこで持論を展開。
あっちこっちと出歩く私も人の事をどうこう言えないがここは奥さんの主張「怖いから」は正論であると。
その体温チェックについてはまったく「信用できない」ということを付け加えておきました。個々の発熱とウィルスの存在の関連は100%ではないですから。
何しろここ静岡あたりとはそのリスクについてトーキョーとは雲泥の差でしょうし。
いつも色々と教わることの多い叔父に、「現状自重すべき」と私の考えを伝えました。
叔父は秋には孫が産まれるといいますので、迂闊な行動は慎むべきことと、当方ではイベルメクチンの導入済みの件とその薬の有効性について話しました。
とにかくコロナ感染となれば「自宅療養」からスタートとなることは首都圏在住者として必定のこと。
ちなみに静岡の病床占有率は東部が55.0%。さすが神奈川に近いだけあって高めですが中部が33.3%に西部が25.0%。
そして宿泊療養施設の利用状況は735室のうち入居者268人(36.5%)で今のところ「自宅療養」となることはなさそうです。
ということでトーキョーと静岡の違いは医療崩壊しているかまだ大丈夫かの違いでしょうね。
それにしても首都トーキョーの医療崩壊とはみっともない。
中等症まで自宅療養ともなれば家でのんびり「遺書が書ける」(昨日ブログ)ということ?
自宅療養の怖ろしさは専門家の治療が常時、直接受けることが難しいということ。それではコロナにありがちな体調急変に即座に対応できませんね。
ガースーは「病床数増やします」のリップサービスはありますが、現実の救急搬送依頼に関しては「たらいまわし」の様相。
結局はどちらの病院にも入れないなど、またぞろでしょうね。
また自宅療養者激増について言えることはどちらにおいても管理については「自己にまかせる」が基本。
カンペキな自宅療養などできるワケがありません。
独居の場合など食事など身の回りの事は外に出なくてはなりません。また家族がいればそれらへの感染があります。
そもそも中国が突貫工事で作った感染者収容センターのような施設を作るでもなく、病院と県に判断を「おっつけて」の「人流は抑えられている」の1フレーズには苛立たされます。
だいたいその「人流」とやらまったく抑えられていませんからね。見え透いたお惚けも毎度辟易、そのお顔を拝見しただけで「痛み」を感じてしまいます。
さて、世には「赤井」さんなる苗字がありますが、私のその名のイメージは私の「今井」の如く水源の古い新しいとか井戸の場所等について表したものではなく仏教的聖水を考えます。
ストレートに「赤」となれば勿論「血」であって合戦後に武具や実験用の首を洗った池などを思いがちになるでしょうがその「赤」の大元は「閼伽」と考えます。
「閼伽」とは「功徳水」でそれを入れる容器のことをも言いますね。
よって「赤い水」ではな仏の功徳のために専ら使用する浄水がこの赤井さんの苗字の発祥だったのかと。
昨日は大畑墓地について記しましたが、その先の細道を行くと勝風(しょうぶ)なる名の墓地があります。
そちらでお出迎えしてくださるのがこの赤地蔵です。
例の赤い布切れも着けられず、凛々しくハッキリとしたお顔と、いつものオーソドックスな形に彫り具合を一見することができます。
「永禄八(1565)斎講敬白 十月二十四日」104.5cm(像高50㎝)
こういう仏に関わる名に「アカ」が使用されれば色のことではなくその「閼伽」を連想するのですが、本当のところはもっと単純な意味で銘々されたのかも知れません(場所はこちら)。
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