東塔院基盤と回廊発掘事業 地球温暖化警鐘の番組

昨晩はBSの再放送「未来への分岐点」を視聴しました。

地上波では五輪オープンの番組が放映される予定とのことで7時のニュースの時間にチャンネルを変えました。

 

6月に放送されたものの再放送ですが、世の私の如くの五輪とバラエティ逃避組にはうってつけの避難地となったでしょう。

前後半別れていて前半が脱プラスチックを促す地球の危機的状況について。そして後半は食料システム(不耕起栽培)の改変に私たちの行動の変革(使い捨て社会からの脱却・・・「LOOP」)です。

 

だいたい推測はしていましたが「飽和状態になった地球」などいう表現はショッキングですね。

人類の活動を受け取れなくなったということですが温暖化がいよいよ加速して地球がこれまで人類の暴走(大量生産・大量消費)を受け止めていた包容力について、もはや限界であるとの警鐘でした。2030年までに何とかしないと取り返しがつかなくなるというものです。

 

特に地球を壊しているのがプラスチックの大量使用の件。

その使用済み廃プラの一部リサイクルなど微々たるもので、焼却そして殆どが埋め立てか(不法)投棄。

年間3000万トンのプラゴミが海に流れ出ているとのこと。

その陸や海で分解されるプラスチックがメタンガスを発生することがわかったそう。

 

冒頭温暖化によって永久凍土の氷解が進み閉じ込められていたメタンガスや未知のウィルスが開放されていることも指摘されていました。

ウィルスの増殖力も恐ろしいものがありましたがメタンガスが二酸化炭素の25倍のオゾン層破壊力というのは驚き以外の何物でもありません。温暖化がさらに温暖化の拍車をかけるという悪循環です。

 

とにかくプラの消費を抑えようというのがこれからの社会の、私たちの行動規範なのですがマイクロプラスチックという微細プラの問題もあり「LOOP」(使い捨てされていた洗剤やシャンプ

ーなどの日用消耗品や食品などの容器や商品パッケージをステンレスやガラスなど耐久性の高いものに変え、繰り返し利用を可能にする新たな商品提供システム)などの循環システムへの変換

が急務なのです。

それらシステムを受け入れられない、努力しない企業は淘汰されるべきなのかも知れません。

どこかのストロー会社の社長さんが「それほどに早くストロー拒絶社会など訪れっこない!!」との軽口を述べていたことを思い出しますがその流れは速かったですね。

世の中は今その温暖化対策非協力には敏感になっているようでもあります。

 

ただしペットボトルの飲料は溢れかえり、それを利用したフリースという衣料品を作り続けている会社がありますが、私たちはそれらを漫然と作って消費を促す姿勢を崩さない会社の品物の購買について今一度考え直さなくてはならないでしょうね。

 

一番悪い(地球を滅ぼす)奴は「見ていて何もしない者」といいますので皆がそれを見て判断し購買意識に結び付けなくてはね。環境に悪影響を与えそうな商品はできるだけ控える・・・大切な心掛け。

 

また、私たちの食生活を変えなくてはならないことも指摘していました。牛肉、豚肉の摂取量を減らせというものでした。

たとえば牛肉1キロあたりの生産に6~20㎏の穀物(主にトウモロコシ)が必要でそれを育てるために大量の水が消費されると。

 

現在既に世界的な地下水の枯渇が言われていて「水」も限界を迎えているとのこと。

農産品も「儲かる産品」ばかりに重きを置いた商業主義による

単一品種大規模生産が推奨されて、森林(温室ガスの解消域)の伐採消滅と自給のための農地不足に陥っているとも。

 

水不足の危惧といえば当地でいえばリニア工事による大井川の枯渇リスクがいわれていますが、その件ヒステリックな静岡県民の単なる「無利益(リニアの直接的利益享受)への反発」程度に思われがちで「水こそ命」であること、その不利益は甚大で取り返しがつかないというところ、何度も記していますが認識いただきたいですね。

 

さて、先般の東大寺の思わぬ至福の時間に恵まれたことを記しましたが、あの時はガラ空きをいいことに余裕をかましてのんびり散策までしました。

 

そこで出くわしたのが「東塔院」発掘調査の現場。

その時の現場にはどなたも動いている人はいませんでしたが。

この東大寺でも未だ発掘調査が行われる場所があったとは・・・

とはいえ寺としての最大なる発掘事業だそうです。

東塔院は奈良時代の創建。鎌倉時代に復興を経るも南北朝時代に焼失しているといいます。

4~5年後には全貌がわかるはずです。色々「出てきている」ようです。

 

④は1970年の万博に出品されたという七重塔の相輪。

その時、父母につれられてあの大混雑に揉まれたのでしたがその存在については一切記憶になし。

京都の叔母の家をベースにして数日通ったのですが・・・

 

そのような建造物を再建するとなると想像を絶する資金が必要となるのですが「あるところにはある」のですね。

まぁ国の宝の寺ですから。

 

私は最後の画像の松の木の美しさを見ただけで「緑化維持だけでどれくらいコストがかかるのだろう・・・」と。

あれだけ大きい木だと高所作業車が入るのでしょうね。

昨日も私は少々の時間、境内の松に向かっていましたが小さい境内、アレだけは大きくしたら自身クビを絞めるようなもの。

頭を伐って高さをコントロール、それしかありません。