今年の相良海水浴場は開かれます。
海水浴場が開くとなれば「海難供養」がオープニングイベントとなりますので相良の仏教会そして私にもお声がかかるわけで
8時30分すぎに会場へ向かいました。
良きお天気で心地よい風が吹き渡り、これまであまり経験したことがない絶妙の「海開き」でした。
てっきり今日こそ梅雨明けの「宣言」かと思いきや東海地区はまだのよう。
「宣言」の重みは殆どナイに等しいですね。
尚海開き法要は今年は1件だけ建てられた海の家で行われました。
そして8月の灯籠流しについては中止とのこと。
まぁ判断の理由はいろいろあるのでしょう。
その大した仕事でもない時間を過ごしたあと(導師は平田寺さんで私は同座するのみ)は静波の墓地の草取りと生垣の剪定に向かいました。
待ってましたの季節ですから。この時間が来るのを。
これまでは息子にその仕事をやらせておいて自身自坊にてふんぞり返っている楽ちんでしたが、今はそれは無理。
ということで去年はまるまるサボって生垣はボサボサというわけです。
奥方のヘルプで今回は2~3日かけようという作戦ですね。
3時間ほど軽トラ半分程度を積み込んで「今日はこのへんで許してやらぁ・・・」と捨て台詞を残して撤収しました。
充電式のバリカンと刈込ばさみを駆使、腕を伸ばしての久々真面目な作業は関節と手の痛みを招き、暑さで集中力もダウン。
そこへきてアシナガバチの巣と遭遇、「まともにやっちゃあいられない・・・」というところ。
奥方は「日焼けしたじゃないか」と赤くなった腕を見せて怒りギミでした。
さて、熱海の土石流は殆ど「人災」ということを示唆していた静岡県副知事さん。
それは「盛り土」がすべてということになりますが、その件あまり早いうちに公言されるのは困る人もいるでしょうね。
よって副知事さんのその判定について、「よく言ってくれました」というところ。
誰もがそれを思うところですが、確証がナイということで(責任を・・・)うやむやにしてしまうというのはよくある話ですからね。
「激甚災害の指定」となれば地方の財政負担が助かることになりますから当初はスグにでも指定か?・・・と思いましたが、人災に激甚災害の指定があるの?というのが単純な疑問となりますね。
それでいて政府は早いところ「天災につき激甚災害に指定」したかったのかも・・・などとも考えてしまいます。
天災でないということは人災。
人災なら100%のどなたか関係者の責。当然にそれは連想するところです。
その重き責を負う人は小田原の不動産屋さん・・・というのがさらなる連想となります。現所有者も何かしかの工作をしているといいますが・・・
盛り土された土地の元の所有者(登記上)と言えば私も知っている小田原駅西口(通称「新幹線側」)にあった不動産屋さんですね。
近くの城山中学校に1年間通学した私としては懐かしい思い出のある場所です。
小6くらいは確かバッティングセンター兼ゲームセンターがあってそこでずっと流れていたビートルズの曲が耳に焼き付いています。そこに友人たちと屯していましたので。
その不動産屋さんは小田原中心に手広く不動産開発をしていました。今は場所について伏せられていますが宅地開発用の盛り土も数か所手掛けているようです。
要はお金持ちであって、利権権益が付き物という推測、政治力のフォローがあるのかも・・・大きな政治稼業との結託・・・なども考えてしまいます。
不動産関係の造成工事は規制も各厳しくありますが、インチキも横行していることは世間周知のこと。
拙寺墓地の廃材混入による工事によって沈下の被害の件を春先に拙ブログにも記していましたがいわゆるこれも「性善説」。
裏を返せばハッキリ言ってそれはデタラメなのです。
あの土地に長年苦労させられた私としてはこの手の事案への怨恨は激しく、忘れがたい記憶ですのでついつい記したくなります。
特に「盛り土」という工作は土地が化けて2度オイシイものです。谷を埋めて土地を平らかに造成すればその土地の価値が増幅することはわかりますが、実はその「盛り土」の原材料は別の工事で出た残土です。
残土というものの受け入れ先は重宝がられます。そうは受け入れできるものではありませんから。
そして盛り土の材料となる土はタダどころかダンプ1台ナンボ・・・の世界。
受け入れれば受け入れるほどお金が舞い込む計算式があることはこの業界では誰もが知っているところ。
よって申請した土以上にどしどし受け入れるというのが金儲けの原理で心中よ~くわかるところですね。
よって行政としてはそれらの行為を管理するべく監視を怠ってはイケないのですが、それができなかったという責が発生します。いい加減な監督があったということですね。
そして真正の土砂ではなく廃材、産廃混入残土と聞きますから通常の取引では受けられない代物。
それが被害の元凶だったとしたらまったくもって酷いお話で・・・
熱海は静岡ではなく神奈川・・・などとその印象を拙ブログでも記していますが、それはその話し言葉は小田原弁に近く静岡特有のなまりがナイということと、何せ首都圏から直近であるということ。
首都圏で行われる各工事の厄介な残土の受け入れ先になりやすくお気軽さがあるという立地なのです。
当地をいざ「開発」となればリゾート物件に早変わり、谷筋も多く、残土の受け入れ先としては絶好の場所だったわけです。
今後「責任のなすりあい」という性善説のなれの果てを私どもは傍観することになるのでしょうが、熱海の土石流で命を失った人、家族、住まいの喪失、インフラの復興に関わるみなさんにこれ以上の人間界つきものとはいえ<災難>を体現させるのはあまりにも気の毒でなりません。
それらも人間界に生かされる者の性として受け入れるしかないのでしょうかね。
そして何よりノー天気で五輪をやってる場合なのでしょうかとも思うところ。
日本中の盛り土の検証は急務となりました。
これからの土石流の災いを止めなくてはなりませんからね。
その手の開発は「氷山」と同じで根深いものがあります、この業界の罪は・・・。
それでいて国は大いに潤っていたのですから。
昔はありませんでしたが・・・熱海にも海水浴場が整備されています(人工の海水浴場)。
私はかつてそちらでボートを15分チャーターしてスキーをした覚えがあります。
おそらく今年は海水浴場の開設は無理でしょうね。
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