「塔の森」下の日吉神社 石仏石塔 南田原

熱海の土砂崩の悲劇の現場は投稿動画という以前はない衝撃の視覚伝達からでした。

地獄絵図がお茶の間でそれもスペクタクルなドラマの如く・・・

その絵図の中には人々の生活と命が隠れているのですが、こういった私のブログ等含め大概の皆さんは「客観」というかいわば他人事の感。

「ひょっとすると次は私・・・」という切実が無ければこのような災害に対する対応力というものが醸成されてきませんね。

ただあの泥の堆積中に「沈む」ことの悲痛、そこから助け出そうと二次災害の発生というリスクを承知で泥の中を動き回る人たちの姿は脳裏に焼き付けられましたが、どうやら今回の件、単純な自然災害ではなかったようだという情報が静岡県から発せられていました。

 

昨日は災害の責任論、ことに行政の対応について少なからずどなたかまたは管理部署の「予知対応と対策の責」について少々興味深く考えたのですが、県として今回の調査によって判明した内容とは、「流れ出た10万立方メートル」という土砂の発生元、起点の周辺に「開発行為による盛り土があってこのすべてが流出した」というものでした。

 

そうとなれば熱海市のこれまで言われていた「各不作為による怠慢のおそれ」という疑義は消滅しその責任論はその開発行為を行った組織一本に向けられるのではないかと思われます。

行政としては許可を与えたとなればその責任も浮上しますがここは開発行為者がすべて責を負わなくてはならなくなったのかも知れません。

 

何の開発行為を行っていたのかは知りえませんが、山林を伐採、土地を開削した傾斜地に大量の土砂を搬入していたといいます。

グーグルマップを試しに見てみましたがその平らかにされた地形を拡大してみるとダンプカーが数台うかがえました。

ゴルフ場には狭そうですので今流行りの太陽光発電かも知れませんね。

 

熱海という地は未だ神奈川県と思われる人が多々いるようですが首都圏に近く、交通もお気軽であるため各企業の保養所の類は多数、都内からの移住者も多く、そちらからの資本の投下もよく見受けられます。

今回の件、もしも開発行為による「人災だった」という判断が下されたとなれば中小企業のレベルではまずもたないくらいの甚大さです。


今後の補償について推測するなど「まだ早い・・・」のかもしれませんが思うところこれから円滑な対応と再整備のためには避けられない問題となるでしょうね。

大きな資本であればあるほど前に進みやすくなるのですが弱小資本だったら破産して夜逃げレベル。

 

さて、昨日はブログにて奈良南田原の阿弥陀摩崖仏について記しました。そのまま長谷方向に南下すれば道の右側に南田原墓地がありさらに日吉神社に向かいました。

右手の山の中腹にその日吉神社がありその背後の山を「塔の森」と呼ばれています(場所はこちら)。

 

その日吉神社への登攀路を車で進わけですが、そちらに向かう道がなかなかわからない。

注意深く走れば小さな案内版がお印程度にあること目に留まります。そのあとに分岐もあってヒジョーにわかりずらいものがありました。

よそ者は来なくていいという感じも漂ってきますね。

人に聞くことができればいいのですが、その辺りで地元の人を見つける事はまず奇跡に近いこと。

 

そして自家用車の場合はおそらく4WDでなくては登れないかも知れません。

細い道の急坂とカーブで車輪が空転するのでは・・・私は2駆→4駆にすかさず切り替えましたが。

よってこちらに車で行くのは相当のリスクというものをご覚悟を。何しろ確信なくただ進むということに不安を覚えたことは確かです。

 

こちらの神社裏には広いスペースがありますので難なくそ車の方向転換と駐車ができますのでご安心を。ただし娑婆に下りる際もそれなりのストレスを感じます。

2度と来ることはナイと割り切って・・・

 

その神社の脇に南北朝期~室町後期の石仏、石塔、宝篋印塔残欠が森を背後に佇んでいます。

画像の如く、バラバラパーツ合わせの躰は酷いものでたとえば

(`六輪塔`化している)五輪等の下にさらに宝篋印塔の笠石が据えられていたりの無茶苦茶です。

五輪板碑の様は「悪くナイ・・・」という感じですが。

年号の刻銘が比較的わかりやすい石塔が集まっています。