南田原摩崖仏 鎌倉期伊行恒の阿弥陀仏 弥勒と地蔵

熱海の土砂崩れの画像には圧倒、言葉を失います。

私どもは小田原を永らく生活の場としていましたのでその地の悲惨画像に恐怖を感じました。

画像の道路を幾度も通行していましたし、伊豆山地区は大学3年の頃一泊二日のアルバイトでこの山を歩き回ったこともある箱根に次いで身近な場所でした。

あそこの美術館のコレクションは特筆ものが並んでいますし。

 

昨日ブログでは「早く帰れ」と息子に言い放ったことを記しましたがあれは午前11時頃のこと。13時すぎには「さわやか」での昼食を終えて東名高速に乗り17時前には義母の大和経由で横浜泉区に到着していたようですが、以降夜半にかけて静岡の道路は昨日昼以降まで各地で分断されていました。

 

昨日は午前中に法事がありましたが三河方面からの参列された方が下を使ってのんびり帰るか(宿泊するか)・・・など悩んでいました。

当、相良は私の勝手に付けた県央「国道一号線理論」の通り降雨は山側が中心、当地はごく軽めでお墓参りの時刻1130過ぎといえば傘不用。

 

私が「帰れ」と言えたのは親心からでしょうね。

強い口調で言い放ったのですが今回熱海市として避難勧告を出していなかったということは不思議な話。もっと(避難について)強く言うべき。

静岡県内は相当量の雨を降らせていたこと、私の如くド素人であっても「何かやばい」を早々に感じ取って息子に向かって「早く帰れ」を「勧告」できているのに・・・

熱海市のご担当殿に強く言うのも酷ですが(まぁ「まさかの坂」ですから)どうしてその判断が下せなかったのでしょうか。

土曜日でお休み・・・なんてないですよね。

 

自然災害にありがちな言い訳「想定外」の文字が市長さんあたり出てくるのでしょうが、それはただの「知らなかったフリ」としか・・・

以前から伊豆半島の海岸沿いの急峻のリスクは十分すぎるほど言われていたことですし特にかつて関東大震災に伴う土砂崩落で近隣の根府川で相当数の死者が出た話は有名なこと。

 

乾いた土地であっても地震の揺れで崩れる地盤ですから雨が多量に降り注いだら「崩れて流れる」ことは連想できるはず。

だからこそのハザードマップの流布なのですが、そのリスク表示公開はできてもそれを生かすことができない行政というのはお寒いことです。

これからも前線は停滞したまま。

今年の梅雨はことのほかうんざりです。

 

私もそういった軽口を記すと土石流ならぬ海からの地震の産物(津波)に遭遇するのでしょうからほどほどに。

しかし地震-津波となれば多少の心の準備はできますが、土石流はイキナリの感。どちらにしろ辛くて厳しい自然からのお達しです。それを将来に生かすも殺すもこれからの人の心。

 

さて、先日は奈良南田原の墓地について記しました。

国内では土葬の習慣が続いていた地でもありました。現在は既にそれは消滅したよう。

同時にやはり大雨迷惑の境内の墓地についてボヤいていた際のブログでした。

 

その南田原墓地の近くの道路脇に「南田原磨崖仏」「切りつけ地蔵」と呼ばれる崖があります。

場所については壊された地図がまだ生きているようですのでこちらです。

 

阿弥陀如来と弥勒の2体+地蔵たち。

阿弥陀仏はその彫りこみの奥に

「一念弥陀仏 即滅無量寿 現受無比楽 後生清浄土

 元徳三辛未(1331)五月日願主東大寺大法師定詮石大工行恒」

とあります。

石工「行恒」はそのスジでは名工の伊派。彼の代表作といいます。

伊派といえば私が真っ先に思い浮かぶのが「わらい仏」(こちらも)の伊末行ですね

尚、偈文は「往生本縁経」からとのこと。ちなみにわたしどもではその経典について読誦することはありません。

H200㎝W100㎝D35㎝の彫り込みにH12㎝の蓮華座、像高167㎝

上品下生来迎印の立ち姿の阿弥陀さん。

 

お隣の弥勒仏の作風は伊行恒とは違って看板には鎌倉時代とはありますが室町時代であることを奈良県史では指摘。後世追像というヤツですね。

そもそも印相が右手掌を下げ左手は掌を胸元に・・・という形は釈迦如来の真逆。「釈迦ではない」ということから弥勒が推定されているようですがどちらにしろ阿弥陀如来の作風とは違って尚作者も年号も記されていないことから、地区の有志の仕事か。

 

地蔵たちには年号があります。

大永三年□□(1523)十一月十一日。

 

「切り付け地蔵」の名はおそらく弥勒摩崖仏のお腹あたりに刀で斬られたようなクラックが入っていることからでしょう。

石塊の直線クラックを人為的と捉えて想像力を発揮させストーリーを立てることはよくある話。

そもそも石、それも仏が彫られた石に大切な自分の刀で斬ってやろうなどいう人がいるワケもなく。

100%大損します。

 

そして「~地蔵」と記されているから「弥勒ではナイ」と指摘されるかもしれませんが、民間では石仏をすべて一緒くたに「地蔵」呼びすることがありますからね。

そういう意味からしてもその「切り付け地蔵」の銘々は最近のものであってさして古くから言われている名とは思えないのです。

 

よってこの摩崖仏の主たるものは阿弥陀仏であって正式名としては「鎌倉期伊行恒の阿弥陀摩崖仏」がよろしいかと。