昨日の相良も晴れ。
境内に居ついた鶯が長い昼間中、絶妙の声を聴かせてくれます。逆にこの辺りでホトトギスの声は聞こえなくなったような。きっと「いーら」の南側の山林伐採と開削が要因かも知れません。
鶯にとってはホトトギスは厄介な鳥ですからそれがいないことはまぁ、悪くないことでしょう。
あとはカラスどもに気を付けて・・・と願うばかり。
しかし、やはり人間が一番信用がおけない?
さて、先日拙寺七代祐信の「老齢年金」について記しましたが他の類例を知りたくて先週末、史料館の長谷川氏にそのコピーを届けました。あいにく不在にしていましたが、昨日午前、史料館より連絡がありました。
「一橋様の仁政の一つだが、その例は他に知らない」とのこと。
そして、「まくり」が数多出たので見に来てね・・・というと早速に来訪いただきました。
尚、「まくり」とは表装していない紙っ切れのまま、襖、屏風などから剥がしたっきりになっている書画のことをいいます。
何故に長谷川氏に声をかけるかといえば、彼は江戸から明治の書画にめっぽう強いからですね。
前回も3本ばかり表装済の掛け軸を見てもらったのですが、すべて私の聞いたこともない人の名を言い当てていました。
それでいてどちらも検索サイトに出ている人たちでまったく無名ではない人たち。感服させられるばかりです。
昨日の「まくり」については半分程度はその前回の表装済のものと重複していいたり、新発見もありましたが残りについては全く不明とのこと。
きっと拙寺代々もそのあたりの書を記しているはずですので、おそらくそれでしょう。
たくさんの落款印も出てきました。
彼が仕事に戻ったあと、一枚の切れ端が目に留まりました。
画像①になります。
私はその「一向宗」にまず目が留まりました。
やはり当時は本願寺系を一緒くたに「一向宗」と呼んでいた証拠が出てきたのです。
浄土真宗各宗からすればその「一向宗」呼びには苦虫を潰して当流で言えば「真宗大谷派」とか「真宗本廟」そして俗称「東本願寺」の如く訂正させられるかも。
当流からすれば「一向専念無量寿仏」であることは違いないものの、「一向宗」といえば浄土宗系、時宗系との混同があるというのがスジで厳密な意で「それは違う」と以前から主張があったと聞いていました。
そしてまた「一人扶持」。
その「祐信の年金」について「祐信逝去につきその御礼を一橋様に・・・」の件でしたがこの見つかった書面はその「一人扶持」下賜の開始について記すものでした。
遠州榛原郡相良町
一向宗大澤寺隠居
祐信
右極老ニ付御扶持方
壱人扶持被下之
「極老」(きょくろう)という語は現在は使うことがありませんが、意味は読んで字のごとく、「極めて老いた」ですね。
当時はその齢に至る例は絶対数、少なかったでしょうしやはり米寿の奇特は特別に褒めたたえ敬うべきという考え方があったのでしょうね。
②③は檀家さんが趣味で増やしている「イワヒバ」とその脇から出てきた植物の花。昨日開花しました。
「これ何でしょう?」と先日その方に伺ったところ「さて・・・」でしたので不明。
白が際立って映っていますが、実際はもっとピンクがかっています。
「イワヒバ」は古くから先達が植栽されてきた植物とのことで地味ながら胞子状のもので増えていくよう。
その名の通り、石の上にのっかっていますがなかなかしぶとく枯れないので長寿草ともいわれているよう。
なるほど、炎天下で変色しても雨が降ってしばらくすると緑色に変わります。
ただ過保護にして水やりを多くすると根腐れしてしまう「ほったらかし」を愛する植物と聞きます。
「人の手」はその思考含めて悪意も善意も自然からすればロクなことがないものなのです。
私のやることなすこと、他者のそれら・・・すべて空しく感じます。
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