日帰り行脚 聖徳太子に会いに行く 

早起きして奈良国立博物館へ向かいました。

奥方を誘うも「真っ平御免」と一蹴されましたので私一人ででした。

主催者側から「緊急事態宣言発令期間中における特別展『聖徳太子と法隆寺』前売日時指定券の取り扱いについて」といったアナウンスがあって基本事前予約、入場制限そして入場できないことがあることを了承して・・・の如くで少々不安がありましたが

お天気良好の予報につき「えい、やぁ~」という具合に飛び出しました。

 

オープンが9時30分ですのでその回に紛れ込もうという算段です。当日券の販売は、「予約の状況を見て」のニュアンスがありましたので奥方が言い放った「そんな場所は余程の酔狂か鹿しかいない」を信じてチケット窓口に並びました。まるで「バカか?」とでも言わんばかりに罵られましたが。

 

入場を制限するというのは要は「密」を防止するための主催者側の配慮ですが、事前にそういった「脅し」をかけられると躊躇してしまうのは人の習性です。

よって企画展として大いに興味があったとしてもこの時期ばかりは・・・と思いながらパスした人は多いでしょうね。

 

すでにチケットを持っている人たちのその時間で予約した人たちの行列はできていましたが、ぱっと見大したものではありませんでした。

これならイケると喜び勇んで当日券の窓口に行けば私が3人目。

早めに動いた甲斐があったというものです。

 

 

入口はマスクチェックにアルコール消毒に検温と周到なもの。

そのチェック含めて入場をコントロールしつつお客を分散させていました。

そもそも博物館でクラスターなど聞いたことがありませんしね。

 

時々どこにでもいるおっちょこちょいが館内でおしゃべりしているところを見かけますが、まぁ稀なこと。

ところが昨日はあの「玉虫厨子」のガラスケースの前、年配の男性が近くの担当の女性を呼びつけて「この案内の矢印」を見ても「『緑色の羽』がみつからない」と怒りまくっていました。

担当者は「私にはうっすらとですが見えますが」と諭しても「いや、見えない」との反論。

「案内の方法をもっとうまくやれ」とのことでした。

 

玉虫の羽の大部分は剥落して残っている場所は僅かですが、しっかりと残っている部分はそちらの隣の面にあります。そちらはやはり目を凝らして見なくてはわからないというのは確かでした。

しかし「そこまで怒るか?」、それもその人に・・・というのが私の本音。周囲の客の注目を浴びてまで。

担当者の対応はあっぱれ「大変貴重なご意見をありがとうございました。こちら(アンケート用紙)にご意見等ご記入の上窓口に・・・」とうまく収めていました。

 

さて、私が奥方に呆れられてまでもその強行に及んだ理由は、まぁ一言で言って滅多に見られないものばかりで、尚この企画が「6月20日」というあの宣言の期限といわれる期日で終了してしまうからですね。

 

その聖徳太子(574~622)といえば当流御開祖親鸞聖人が「父母の如く」に慕った人で今年は1400回忌の区切りの年。

今年こその展示企画であって、今年でなくては意味が無かったのでした。

 

そしてまた御開祖の聖徳太子への奉讃は以降御門徒へ影響を与えてきたことは必定。明治以降に人々が「聖徳太子」を崇めたその源流の一つかも知れません。

もっともその人々の言う「聖徳太子」とは別の意味がありますが・・・。

 

よって少なくとも門徒の坊さんを名乗るのであれば、この奇特な機縁に「会いに行かねばならぬ」などと自身尻を叩くようにして向かったのでした。

 

以下、御開祖の「正像末和讃」から皇太子聖徳奉讃。

私が夏の盂蘭盆法要で拝読しているものをピックアップしました。

 

☆仏智不思議の誓願を 聖徳皇のめぐみにて 

 正定聚に帰入して 補処の弥勒のごとくなり

 

☆救世観音大菩薩 聖徳皇と示現して

 多々のごとくすてずして 阿摩のごとくにそひたまふ

 

☆無始よりこのかたこの世まで 聖徳皇のあはれみに

 多々のごとくにそひたまひ 阿摩のごとくにおはします

 

☆聖徳皇のあはれみて 仏智不思議の誓願に

 すすめいれしめたまひてぞ 住正定聚の身となれる

 

☆他力の信をえんひとは 仏恩報ぜんためにとて

 如来二種の回向を 十方にひとしくひろむべし

 

☆大慈救世聖徳皇 父のごとくにおはします

 大悲救世観世音 母のごとくにおはします

 

拙寺にも以前鐘楼の近くに太子堂があったといいます。

当流は阿弥陀一仏(一向専念無量寿仏)とはいいますが、聖徳太子は切っても切れない深い関りがあることを忘れてはいけません。

 

それにしても一泊する気になれなかったのはやはり博物館頭痛(暗がりで凝視→眼精疲労+寝不足)が出てしまったことと東名集中工事で滋賀県に立ち寄ることができなかった(帰宅に不便)からです。

一応はお泊りセットは持参していましたが・・・

 

③画像は当日券ゲットを奥方にこれ見よがしに送った画。

「6月9日9時30分」と時間までコントロールされています。

④今回企画のパンフですがこの聖徳太子像は法隆寺聖霊院内陣の三間厨子に祀られている秘仏本尊。

そうはお目にかかれるものではありません。

正式には「聖徳太子および侍者像」と言って他に4体のセットになります。

冕冠(べんかん)を戴く形式は「講讃像」特有のものでかつ笏を執る様子は摂政像の特徴といいます。没後500年に作られたもの。

 

「なら仏像館」のパンフを見て感じるのは・・・邪鬼は私か・・・

やはり家は四天王の如くに女が仕切るのがベストかも。

お国の政もそうかもね。