四谷観音坂 服部半蔵の墓 鍵吉掲示板追記

昨年の五月、心臓の冠動脈に2本同時に狭窄が見つかって緊急手術となった檀家さんがいましたが、1年を経てその「大きい3本」のうちの残りの1つに再び狭窄が発見されて、1日入院となりました。前回は2週間の入院で親戚中の騒ぎになったそうですが今回は軽度で最短の解放だったよう。

前回は予兆があって「念のため」町医者に診てもらったことからの偶然の発見でしたが今回は予後経過診察の中から。

 

最初の変調から医師診断を決めたその判断は絶妙で、御当人も「命を拾った」と仰っていましたが今回の手術の件もそのいい流れが続いているということですね。

仏教的には機縁とはいいますが、中には予兆なしでの心筋梗塞や閉塞による重い発作に達することも多くそうなれば死に至る確率は相当高いものがあります。

偶然に見つけた病変を早めに処理できたことはこのうえない仕合せですね。

 

昨日は門前で砂利洗い作業をしているとその方がふらっとやってきて元気な姿を見せてくれました。

マスク姿で一瞬どなたか分かりませんでしたがハリのある声と笑顔を連想させる目じりを拝見し、大きな安心を得ました。

 

今この国のトップは国民の「安全と安心」と壊れたレコーダーのようにそのスバラシイっポイ語を連発していますが、日々私どもの生活や社会の中で「安全」とは当然なる考え方。

私ですら年がら年じゅう梯子に上がったり木の上でチェーンソーを振り回しているワケではありませんが、安全とは揺るぎのない「当たり前」のことなのです。

戦争にでも突入しようというのなら意味は違ってきますが100%の国民が、私ども下々の者まで享受できるという特別な意味のある言葉です。

それを今更「安全・・・」を提供する? 何のこっちゃ・・・ですね。

「安心」についてはまた、そもそも他人に押し付けられる物でもなし。各個人が心から安らいで抱いたほっこりとした感覚です。

そういった抽象的語句を持ってきて、「すばらしく誇らしげに・・・」「私がしてやる」の如くに・・・そう感じてなりません。

 

まぁこれから死を連想する何かというタイミングならその「安全」については意味がわからないでもありません。

五輪という無茶をこれからやらかすという無謀に対してそれを言うのなら「ちょっと違う」ですね。

まさかの坂をご存じない・・・? 

 

さて、東京には「○○坂」名称数ある中四谷には仏の名を冠にした坂道があります。

それが「観音坂」。その名から推測されるものといえばお寺のご本尊。

要はお寺がその地名の原点になっていますが、都心には他にもそれと同じ名の坂は複数あります。台地が入り組んでかつお寺が散在しているということでしょう。

そういえば結構耳にした覚えがあるような・・・

 

四谷をブラつくようになった「女墓場」が撮影してきた榊原鍵吉の墓でしたがそういえばお寺の名前も記していませんでしたし掲示板のアップも忘れていましたので今回記させていただきます。

その名は西応寺で大谷派のお寺ですね(場所は新宿区須賀町11-4)。

 

そしてそれから近くの「四谷観音坂」へ廻ったそう。

坂は「西念寺と真成院との間」にある結構急な道のことでその

観音とは真成院の塩踏観音(汐干観音)なる観音菩薩のことをいうそうです

彼女が1度そちらに行ってお墓の画像を送ってきた際、「半蔵の槍は・・・」などと軽く聞けば再び休みの日に行ってくれました。

「予約がないとダメだった」とのことでしたが、私も不親切。

まさか再び行ってくれるとは思ってもいませんでしたからね。

そもそもそれほどの寺宝をやすやすと撮影させてくれるワケありませんし。 

 

そういった物は私が実際に目にして納得、勝手に安心して帰るものですからね。人に見に行ってもらうというのはやはり「ちょっと違う・・・」。

こちらだけは私自身の足で行ってみたいところです。

四谷は都会すぎますが案外と面白い地だという事がわかりました。

 

そして服部半蔵の墓は宝篋印塔。

この人の名は歴史好きでなくてもどなたでも知っているのでは・・・。特に私で言えば子供の頃見た「ハットリくん」かな・・・

世に「忍者」をメジャーにした人といえば彼ですね。

こちらはやはり「西」付きのお寺で西方浄土を連想。

浄土宗のお寺ですので阿弥陀さんがご本尊ですね。 

 

 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    がつお (水曜日, 09 6月 2021)

    南寺町ですね
    江戸期からお寺の多い地域で、私の先祖も江戸時代はこの南寺町にあるお寺を菩提寺にしておりました(住居は国立競技場近辺ですが)
    以前そのお寺に伺ったときにご住職がこの付近は「寺町」と言うんだとおっしゃっていたので地元では南は付けないのかもしれません
    四谷も大通りから少し入ると静かでした
    服部正成は世間的には忍者と言われていますが忍者研究者界隈ではこの人は忍者じゃないといわれています
    ちなみにうちの先祖の3代目は服部氏(正成の家系ではないですが藤林を祖としている伊賀人)の娘を嫁に貰ったそうなので、ものすごく薄いですが忍者の血が私にも少しは流れているかもしれないというネタがあります(私自身は忍者とは程遠い体型ですが)

  • #2

    今井一光 (水曜日, 09 6月 2021 21:22)

    ありがとうございます。
    「寺町」ですか・・・いい響きですね。

    現状体形については置いておいて、伊賀者の血が通っているということ。
    その件、元は修験者の流れとも聞きますし外圧への抵抗についてまとまって
    徹底抗戦するという気概と肉体と精神の鍛錬は歴史的に高評価、一目を置かれる
    グループですね。
    外国人観光客のウケ狙いのショーは首をかしげますが。
    それも仕方ないか・・・