鰹は1本 榊原鍵吉の墓 攘夷倒幕の私利私欲とは異に

大雨の予想がありましたが当地は大した雨にはなりませんでした。ただし私は朝から頭痛の兆候があったため、朝食後早めに鎮痛剤の服用をしてだらだらと過ごしていました。

工事の方もお休みです。

先日は「雨が降ると集中力が落ちる・・・」など、すべてにおいて危険であることを記しましたがこういった工事に雨のリスクは負いません。

私は学生時代から現場工事のアルバイトを好んで体験してきましたが、以下の言葉が思い出されます。

「土方殺すにゃ刃物はいらぬ 雨の三日も降ればよい」

 

最近の大きな会社ならまだしも個人親方だと自宅にいて一日中酒でもあおりながら寝腐っていれば体を悪くしますからね。

案外と雨が降って仕事にならない業種は多々あるものです。

中央のエライ方々はそういう`色々`とは縁が無いでしょうね。

だからこそ「アベノマスク」筆頭にピントの合わない施策や愚図グスモタモタが見えてくるのです。

 

GW以来の人々の往来によって酷い目に遭っている北海道、沖縄の日本の二大観光地ですが、昨日の通り、沖縄の話題が全国ニュースに取り上げられています。懐かしい地名が出てきてつい食入るように注目してしまいますが、沖縄県はこのほど独自のコロナ対策に入ったとのことでした。

県立高校の原則2週間(6/7~)の休校とそれを小中学校へ依頼して広げたいとのこと。

 

私は最近の境内作業中、周囲に人が見えない時はマスクを外すことが多くなりましたがそれはただ暑いから。解体作業に従事する者でマスクを着けている者は一人もいませんね。

まぁそれは、表情がわからず緊急の声が通りにくいに他なりませんが・・・

 

子供がマスクを装着しながらの運動で命を落とした例もありましたがあの沖縄でマスクを着けたままの何かの作業(授業であっても)はさぞかし苦しい事だと思いますよ。

国の方向を差し置いて沖縄県がそれを進めることに訝しい顔をする人が居たとしたら、沖縄でマスクを着けたまま体操でも何でもやってみたらイイ。やってみなけりゃわからない。

 

さて、友人の「女墓場」が最近四谷界隈を振らついていること(→迎賓館)でしたので「それでは、こちらをタノム」と依頼していたのが須賀町の西應寺。新宿区になります。

 

それは静岡県に関係ある幕末の男っぷりのイイ豪傑たち数ある中、それら指折りの人々と関わり深い人ですね。

「最後の剣客」と言われた榊原鍵吉の墓です。

拙ブログでは「相良の幕末勇士」今井信郎のところでこの榊原鍵吉が今井に対して竜馬を斬った刀を所望されてそれを渡したという件がありました。

 

私には幕末のドサクサについては幕府方に肩入れしたいという個人的志向があって当然に敵役といえば薩長土佐(・・水戸はただのおっちょこちょい)ですね。

剣豪榊原の腕前は超人的だったかと連想しています。

表には出て来ないそれら系の浪士たちをスカッと闇に葬って行ったことを。

 

彼の周囲を見まわすと、奇遇含めてなかなか面白い関連性が窺えます。私のコジつけもありますが・・・以下列します。

 

彼の剣客の道のスタートは男谷信友という人です。

師匠として彼に育てられたというワケですが信友は盲目の障害があった男谷検校(米山検校)の孫。

その人は盲目の中、厳冬雪中に奥医師の石坂宗哲屋敷の門前で行き倒れていた所を助けられたという経緯がありました。

ちなみにその医師石坂宗哲の系に相良石油の石坂周三がいて彼の義兄が山岡鉄舟というところは周知。

 

男谷検校は石坂宗哲に助けられた縁で金を借りそれを元手に大きな資産を築いて大地主となった人。その金を元に子たちを出世に導いたとも。

盲目であっても機会とヤル気さえあれば大成できるということを証明した人。

男谷検校の子の信連、その子が剣術の道を歩んだ信友となりますが、やはり検校の子で信友の弟、平蔵の三男が勝海舟の父という構図になります。

 

その榊原鍵吉は男谷信友、勝海舟らと講武所の師範となりますが

この講武所は阿部正弘が男谷信友の提案から新設されたもの。

その講武所での将軍家茂を招いた模範試合で当時やはり槍の使い手として名があった高橋泥舟を負かしています。

 

そして大政奉還後の争乱をやり過ごし一時は德川家達に従って駿府に入っていますね。

その後も明治政府の招へいには一線を画したというところも悪くない。 

彼の周りには特筆すべき人物が居ること間違いなし。

 

最期の画像は昨日雨天の中わざわざ届けていただいた鰹の新鮮。季節の旬です。

かつおは半分もらったよ」・・・ではなくまたしても1本まるまる。

ネコたちも大喜び。一家で贅沢をさせていただきました。